2007-09-30

The Tramp Band 1943

「ストーミー・ウェザー」Stormy Weather(1943米アンドリュー・
ストーン)より “Moppin' and Boppin'” (2:57)

From unknown source, probably soundie
“Hit That Jive Jack” (2:35)



大好きなバップ・ヴォーカリスト、ジョー・キャロルの音楽キャリア最初期のバンド(バンドなのだろうか、本当に)、トランプ・バンド。ジョー・キャロルは一般的には1940年代後半のディジー・ガレスピーのビッグ・バンドでの活動で知られている。それ以前のトランプ・バンドは本当に幻のグループで最新のジャズ・ディスコグラフィーを持ち合わせない身には、吹込みがどれぐらいあるのか、そもそも吹き込みがあるのかどうかすら分からない。長い間、映画「ストーミー・ウエザー」でのみ観聴きできる存在だった。最近、下の映像を見つけたのを機に取り上げることにしました。

ジョー・キャロル以外のメンバーについては全く知らなかったのだが、下の映像についていたコメントによるとほぼ同時期・同メンバーだとして以下の名前があったので書いておきます。

Joe Carroll: vocal
(Carroll and Pinky Johnson up front )
Nick Aldrich: piano
Johnny Cousin: guitar
Ebenezer Paul: bass
Willie Jones: drums
Alvis Cowans: washboard

浅学非才にしてジョー・キャロル以外のメンバーはどういう人か知りません。ご存知の方はご教示下さい。

“Moppin' and Boppin'”(あるいは“Yeah Man ”)で、最初に歌いだすのはウォッシュボードのアルヴィス・コーワンズ。ギター・ソロに合わせて変な顔をするのがピンキー・ジョンソンという人だと思われます。その直後歌いだし、スキャットを決めるのがジョー・キャロル。途中からタップで乱入するのが、この映画の主人公ビル "ボージャングルス" ロビンソンシャーリー・テンプルの映画への出演などで知られる伝説的タップ・ダンサーで、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが書いた有名な『ミスター・ボージャングルス』は彼のことを歌った歌です。

“Hit That Jive Jack”では全面的にキャロルがフィーチャーされ、後年の特徴あるスモーキー・ヴォイスがはっきり聴き取れます。この曲はジャイヴ系のアーティストがよく取り上げる曲で、キング・コール・トリオのデッカ録音のほか、スリム・ゲイラードが何度も吹き込んでいます。残念なことにこの映像は裏焼きになっていて、左利きの楽器奏者や合わせが逆のジャケットが現前しています。

おそらく、サウンディーズがソースだと思われるこの映像を取り上げるのは反則気味なのです。サウンディーズはパノラムという映像ジュークボックス(スコピトーンと同じ原理と思われる)で観るもので、スコピトーンと同じく銀幕に投影されるフィルムではないので、今までは遠慮してきました。この先、面白いものについては取り上げることに決めましたので、ご了承下さい。看板に偽りありと責めないでね。

2007-09-29

The Royal Teens 1958

‘Let's Rock’(1958米ハリー・フォスター)より
『ショート・ショーツ』Short Shorts (2:44)



TV朝日「タモリ倶楽部」のテーマ曲として知られるロイヤル・ティーンズの『ショート・ショーツ』。キングスメンの『ルイ・ルイ』のようにシンプルながら、アキの来ない名曲だと思うのだがいかがだろうか。

このバンド(プロジェクト?)にはロック/ポップ界の大物が二人関わっている。一人は『ショート・ショーツ』の作者の一人でもあるボブ・ゴーディオ。この人はのちにフランキー・ヴァリフォーシーズンズの中心メンバーとして活躍し、数多くのヒット曲の作者となった。もう一人はアル・クーパー。弱冠14歳のギタリストとしてキャリアをスタートさせた。ちなみに映画出演時のメンバーは、ボブ・ゴーディオがピアノだが、ギタリストはアル・クーパーではなくてBilly Dalton 、サックスがのちにニッカボッカーズを結成するBuddy Randell (aka Bill Crandall )というライン・アップ。女性歌手は誰だか分からない。

Joe Cocker 1970

「ウイズ・ジョー・コッカー」Joe Cocker: Mad Dogs and Englishmen
(1971米ピエール・アディッジ)より “Cry Me a River” (3:50)

「ウイズ・ジョー・コッカー」Joe Cocker: Mad Dogs and Englishmen
(1971米ピエール・アディッジ)より “Delta Lady” (5:38)



同じ“Cry Me a River”でも、こちらは血わき肉おどるジョー・コッカー・ヴァージョン。ロックが上げ潮の時代で、聴くものすべてが新鮮だった。ロック・ミュージシャンたるもの皆自前の曲を世に問うている中にあって、ジョー・コッカーはほぼ一貫してカヴァーの人でした。ボックス・トップスの『あの娘のレター(ザ・レター)』、ビートルズの『ウイズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』、少し時代を経てビリー・プレストンの『ユー・アー・ソー・ビューティフル』などなど。いさぎよい人だなと思う。

個人的には1975年のアルバム「アイ・キャン・スタンド・ア・リトル・レイン」や翌年の「スティングレイ」がフェイヴァリットだが、Mad Dogs and Englishmen は大所帯のロック・パッケージ・ショーとして完璧だ、なんて言うと文句がでそうだが、「祝祭としてのロック・コンサート」を余すところなく体現していると思う。

“Delta Lady”は、ジョー・コッカーもしくは作者のリオン・ラッセルがオリジナルだと思われがちだが、リオンがリタ・クーリッジのために書いた曲だ。リタもまたこのツアーに参加していて『スーパースター』でフィーチャーされている。“Delta Lady”を一度終了してからリプライズするシーンは、百戦錬磨のソウル・マンなら涼しい顔でルーティーンとしてこなすところだが、ジョー・コッカーの途惑ったような、あるいはちょっとムッとしたような表情が可笑しい。

2007-09-28

Julie London 1956

「女はそれを我慢できない」 The Girl Can't Help It
(1956米フランク・タシュリン)より “Cry Me a River”(3:23)


ロックンロール映画の古典から、よりによってジュリー・ロンドンかよ、なんて声が聞こえてきそうですが、ロカビリアンやR&Bミュージシャンはそのうちやりますのでご勘弁を。

写真は映画の中でもかけられたジュリー・ロンドンのファースト・アルバム‘Julie Is Her Name’、邦題を「わが名はジュリー」という。そう沢田研二の写真集だかエッセイの「わが名は、ジュリー」(1985年、中央公論社刊、玉村豊男編)はここからとられたのだろう。

その昔、大橋巨泉がラジオの番組で「この歌手は本当に上手いか」みたいな特集をやっていて、ジュリー・ロンドンやプラターズを槍玉に挙げていたのを思い出す。要は、巨泉さんの好きなペギー・リーやカーメン・マックレエのような「本物」に比べるとフェイクだよと言ったのだと記憶している。そりゃそうでしょ。そもそもジュリー・ロンドンは「ジャズ・シンガー」ではなくて「ポップ歌手」なのだろうと思う。巨泉さんには「ポップ歌手」よりも「ジャズ・シンガー」のほうが偉いという序列(ヒエラルキー)が無意識かもしれないがあるのだろう。残念ながらというか幸いなことにと言ったらいいか、その価値観を共有することはできない。長くなるので、「ポップ」も「ジャズ」も両方愛したらええやんけ、と言って中締めしときます。

旦那のボビー・トゥループ(ジャズ・ピアニスト、作曲家、『ルート66』が有名)のプロデュースと高校時代の同級生アーサー・ハミルトンの曲提供によって“Cry Me a River”は世に送り出され、「女はそれを我慢できない」封切の翌年1957年、シングル・カットされて大ヒットになった。

ハスキー・ヴォイス=セクシーというのは、現在では通用しないほどステロタイプだなとは思うのだが、誘惑しつつ男を焦らす女性の身のこなしを思わせるようなスローなフレージングと相まって、悲しいかなパブロフの犬のごとく反応してしまう。いいじゃないの、幸せならば(って佐原直美か)。男はそれを我慢できない、ってことでおあとがよろしいようで。

2007-09-27

秋山未痴汚(道男) Michio Akiyama 1969

「ゆけゆけ二度目の処女」(1969若松プロ・若松孝二)より
『ママ、ぼく出かける』 (2:32)



無印良品・六本木ヒルズ・チェッカーズ・小泉今日子を「プロデュース」したコピーライター秋山道男と若松プロの構成員(準構成員? って893か!)の秋山未痴汚の像がうまく重なり合わない。いや全然矛盾なく重なるよと言われれば、おのれの不明を恥じるだけなんだけど。余談だけど、ビートたけし(北野武といったほうがいいかな)が少女を暴行する男の一人として本作に出ているとのこと。こちらは妙に納得できちゃうけどね。

若松プロ作品をあまり数多く観ているわけではないが、イイなと思ったのは本作と「胎児が密猟する時」(1966)。いずれも足立正生が脚本を書き、今はなき原宿セントラルアパートで撮影された作品だ。それと大和屋竺監督作品が面白かった。

映画のあちこちにパラフレーズされている詩は中村義則という人が書いたということになっている。実在する人なのかどうか知らない。ひょっとしたら秋山の変名かとも思えるのだが。現に音楽担当の迷宮世界とは、秋山道男と小水一男のことらしいので、その可能性もあるかなと思っている。

『ママ、ぼく出かける』も中村義則の詩だとして蠍座のフライヤー(昔はチラシといった。上掲写真はトリミングされたもの)に掲載されている。ミラーがミラノになっていたり、ノーマン・メイラーがノーマル・メーラー(メール・ソフトかよ)になっていたり変なところはあるけど、耳で聴いただけじゃ分からないところがあったのでありがたい。映像の英字幕もかなり変だしね。

アメリカの黒人詩人に擬態して書いたと思しい詩のポエトリー・リーディング。あるいはテンションの低いジャックスといった趣もある。そう言えばジャックスも「腹貸し女」(1968)で若松映画の音楽を担当してるんだっけ。出演しているかどうかは未見なので知らないのだが。

参考までに、ラスト・シーンはこちらです。

Anouk Aimée 1961

「ローラ」Lola (1961仏ジャック・ドゥミ)より
『ローラの歌』Chanson de Lola (1:30)



マックス・オフュルスに捧げられたジャック・ドゥミの長編第1作。ヒロインのローラはジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の「嘆きの天使」(1930)でマレーネ・ディートリッヒ演ずるLola Lolaから名前とキャラクターを拝借してきたもの。と言ってもディートリッヒのように男を破滅させることにはならないのだが。

ミッシェル・ルグランと初めてコンビを組んだ作品でもあるのだが、全面的にルグランの音楽を使用したわけではなくモーツァルトやベートーヴェンなども使用している。ドゥミによると「音楽のないミュージカル」のつもりで撮ったとのことだが、いわゆるミュージカルではない。

アヌーク・エーメの吹き替えをやったのは、Jacqueline Dannoという女優で歌も歌う人。ラテン・ジャズっぽいバックに対して自由律な歌唱。オリジナルなメロディや譜割から完全に逸脱した、悪しきシャンソンの典型みたいな歌い方だ。本来なら否定したいところだが、こうして映像付きだと妙に説得されてしまう。声そのものも官能的だし。もちろんアヌークの姿態もね。

2007-09-25

Nadine Nortier 1967

「少女ムシェット」Mouchette (1967仏ロベール・ブレッソン)より
曲目不明 Unknown Song (0:44)



ロベール・ブレッソンの映画では人は歌わない、という何となくの思い込みがある。それどころか音楽が流れることもなかったのではとすら思えてしまう。静謐な佇まいと禁欲的な人物像。これがブレッソン映画の印象なのだが、凄惨な事件や悲劇は静謐なムードの連続の中で生起する。アメリカ映画などで事を起こす前の人物が散々ジタバタするところを描くのとは対照的なやり方だ。いい悪いではなく、それが彼の個性なのだと思う。

映画の中で歌う行為は、どこか真情吐露的なところがある。あるいは人物の心理描写の一手法であると言ってもいいかもしれない。それは一歩間違えれば陳腐なあざとさに堕してしまう危険性を持っていると思う。相米慎二作品が、あざとさにあえて半歩踏み出して少年少女たちに歌わせてきたことを思い出す。

本作で歌うシーンがあったことは、このクリップを見つけるまですっかり忘れていた。と言うよりもラスト・シーン以外は全く憶えていなかった。このシーンの前に学校での出来事があり、そこでムシェットは屈辱的な状況で同じ歌を歌わせられている。断片的に見ていくと、ごく普通の映画に見えてくるから不思議だ。

2007-09-24

Corinne Marchand 1961

「5時から7時までのクレオ」Cléo de 5 à 7
(1961仏アニエス・ヴァルダ)より 『サン・トワ』 Sans toi (2:31)



アニエス・ヴァルダの映画には微妙に入り込めないものを感じている。と言っても他に観たことがあるのは「幸福」(1965)と「歌う女・歌わない女」(1977)に短編の「コートダジュールの方へ」(1958)ぐらいなので大きな口はたたけないのだが。加えて本作の主役コリンヌ・マルシャンのルックスも微妙ではないか。別に美しくなければいけないことはないのだが、若いのか老けてるのか年齢も判別できないし、積極的に嫌いになれるほどの強い個性も感じない。それでもここに取り上げたのは、ミッシェル・ルグランの音楽ゆえ。

「ローラ」(1961仏ジャック・ドゥミ)で旦那に気に入られて、カミさんの映画の音楽も担当することになったのだろう。ルグラン本人も登場するとは身内同然の扱いだ。ピアノを弾き歌唱指導をしているのが、ルグランその人。

『サン・トワ』は、「シェルブールの雨傘」(1964仏ジャック・ドゥミ)の愛のテーマや「おもいでの夏」(1971米ロバート・マリガン)のテーマ曲などと同系列の曲で、聴き手をドップリと感傷に浸らせるというタイプ。ルグランのジャジーで小洒落た曲の系列を良しとして、こちらの系列を軽んじ疎んじる向きもあるけど、なに怖がることはありません。両方聴き倒したらええやんか(何故か関西弁)。

2007-09-23

Fred Astaire 1946

「ブルー・スカイ」Blue Skies(1946米スチュアート・ハイスラー)より
“Puttin' On The Ritz”(4:35)



歌よりもタップと何度見ても不思議な画面ですか。やっぱりそこに目が行っちゃうよね。ステッキが2度手元に戻ってくるのは床に設えた装置を使っているらしい。フィルムの逆回しを使っているのかと思わせる出来映えだ。途中でカットを1回割っているのと、パンして床に置いたステッキをフレームアウトしているのは、そういう訳だったのだ。

最後の9人のアステアを従えて踊る部分は、2ヴァージョン撮影したものを互い違いに焼きこんで合成したものとのこと。現在ならコンピュータで簡単に出来るのだろうが、最早誰も驚かないだろう。このシーンはカラクリが分かってもなお不思議な気持ちを抱かせるに十分なインパクトがある。

アステアの歌は決して上手くないし音程もよくはないのだが、鼻歌風のリラックスした感じがあって好ましく思ってしまう。結構イイ曲を歌っているのだが、曲の良さを殺していないというか歌手としての過度の主張がないところがイイと言ってもあまり誉めたように聞こえないかな? ちなみにこの曲はアーヴィング・バーリンが作詞作曲を手がけた。と言うよりもこの映画全体の曲(ほとんどの作詞も含む)とストーリーはバーリンの手によるもの。

本作の主役たるビング・クロスビーについては後日改めて取り上げます。

2007-09-20

江利チエミ Chiemi Eri 1957

「青春航路」(1957宝塚=東宝・瑞穂春海)より
『スワニー』Swanee (2:17)

「青春航路」(1957宝塚=東宝・瑞穂春海)より
『シシカバブー(串カツ・ソング)』(2:42)



宝塚映画(1951~1968年に映画制作をした東宝の子会社)初のカラー(イーストマン)&シネスコ(東宝スコープ)映画(1957年12月封切)。ちなみに東宝本体では同年7月封切の「大当たり三色娘」(杉江敏男、元祖三人娘シリーズの3作目)がカラー&シネスコの嚆矢。

本作にはゲストで雪村いづみも出演していて『黒田節マンボ』を江利とデュエットしている。ほかに江利が中野ブラザースと下駄タップを見せる『おてもやん』『祇園小唄』などもあるのだが、割愛した。興味のある方はリンクをクリックしてご覧下さい。

『スワニー』は、ジョージ・ガーシュインの最初の大ヒット曲で、前エントリーのアル・ジョルソンによって有名になった曲。ブロードウエイ・ミュージカル「ショウボート」風のセットが印象的。江利の歌いっぷりは無理がなくてスッと聴ける。

『シシカバブー(串カツ・ソング)』は、調べたかぎりではRalph Marterie(ラルフ・マーテリー)というビッグバンド・リーダー兼トランペッターが放った1957年5月のインスト・ヒットのカヴァーかと思う。ちなみに江利はこの曲を同年9月にSPでリリースしている。編曲は越路吹雪の夫、内藤法美。演奏は見砂直照と東京キューバンボーイズである。1954年の『ウスクダラ』(『シシカバブー』の間奏にメロディが登場)、1955年の『イスタンブール・マンボ』に続く「エセ中近東ソング」とでもいうべき路線の1曲。ちなみに『ウスクダラ』はアーサー・キットがオリジナルだが、『イスタンブール・マンボ』のオリジナルは誰なんだろう? ムーンライダース・ファンの方教えて下さい。

ムーンライダースと言えば、彼らがアルバム「イスタンブール・マンボ」の前に江利チエミとアルバムを作るプロジェクトが途中で頓挫して未完成に終わり(前出3曲を含む全曲お蔵入り)、それにインスパイアされてアルバム中の『イスタンブール・マンボ』、『ウスクダラ』を発表したという話がある。詳しくは当ブログもブックマークしている「江利チエミファンのひとりごと」を見て下さい。

とにかく『シシカバブー(串カツ・ソング)』はストレンジでイイ曲です。

…………………………………………………………………………………

2007年9月27日;『イスタンブール・マンボ』のオリジナルが判明。1953年の“Istanbull( Not Constantinople ) ”がその曲。アーティストはフォー・ラッズ。フォー・フレッシュメン・フォロワーのコーラス・グループ。中近東風のメロディをマンボにのせたのはチエミ・オリジナルと言えそうだ。

Al Jolson 1927

「ジャズ・シンガー」The Jazz Singer(1927米アラン・クロスランド)より
“Dirty Hands, Dirty Face”(2:52)


「ジャズ・シンガー」The Jazz Singer(1927米アラン・クロスランド)より
“Toot, Toot, Tootsie”(2:07)


「ジャズ・シンガー」The Jazz Singer(1927米アラン・クロスランド)より
“Blue Skies”(2:49)


「ジャズ・シンガー」The Jazz Singer(1927米アラン・クロスランド)より
“My Mammy”(2:07)



「世界初のトーキー映画」ということになっているが、正確に言えば少々違う。映画の大部分がサイレント映画で、見せ場である歌とそれに付随した部分だけに音が入っている「パート・トーキー」であること。長編映画(フィーチャー・フィルム)としては世界初であるが、1~2巻ものの短編では何年も前にトーキー化が実現されているという事実をあげておこう。以前にエントリーしたMills Bros.で触れたようにフライシャー・スタジオ制作のSong Car-Tunesシリーズ(1924~1926)というのがすでにあるので、少なくともトーキー映画の起源は1924年まではさかのぼることになる。それ以前となるとさっぱり分からない。一応 wikipedia のSound film を参考にあげときます。

Dirty Hands, Dirty Face:エドガー・レズリーとグラント・クラークという人が歌詞を書き、ジェームス・V・モナコという人が曲を書いた曲。今日的観点から聴けばさして面白い曲ではない。まあ歴史的価値ということで観聴きすればよろしいかと。なお「ジャズ・シンガー」の「ジャズ」も歴史的な意味を持った単語であることにご注意を。狭義のジャズではなく、すなわち現在ポピュラー・ミュージックの1ジャンルとして認識されている特定の音楽ではなく、クラシックの歌曲や宗教的な歌あるいは民俗的な要素を持った歌以外の「卑俗な歌」全般を指している。当時のポピュラー・ソングとほぼ同義と言ってよいと思う。
Toot, Toot, Tootsie:ガス・カーンが中心となって書かれた曲。普通ガスと表記されるが本名が Gustav Gerson Kahn なので、グスが正解なのかもしれない。代表作は "It Had to Be You" (1924)、 "Yes Sir, That's My Baby" (1925)、 "Side by Side" (1927) 、"Makin' Whoopee" (1928)など。大作詞家である。“Toot, Toot, Tootsie”は2ビートっぽいニュアンスを持ったスイング・ビートの軽快な曲。間奏の指笛も面白い。映画史的には曲前の台詞“Wait a minute, wait a minute, you ain't heard nothin' yet.”の方が有名かもしれない。和田誠氏の著書のタイトルにもなった「お楽しみはこれからだ」である。
Blue Skies:アーヴィング・バーリン作詞作曲の有名曲のひとつ。数年前に日本のTVCFでも使われたマキシン・サリヴァンのヴァージョンが大のお気に入りだったりする。イイ曲の賞味期限はないに等しい。なんてね。
My Mammy:この映画の最大の見せ場のひとつ。黒塗り(blackface )は、ミンストレル・ショーの伝統に則っているわけだが、人種的軋轢の時代を経て廃れたスタイルである。黒人蔑視のエスニック・ジョークの類として片付けてしまうのは簡単だが、現在にもつながる視点で言うと黒人になりたいBボーイたちの先駆け的な存在と言えなくもない。相当屈折してるけどね。あ、この曲は有名なウォルター・ドナルドソンが作曲した曲で、アル・ジョルソンにとっても代表作のひとつとなっています。

2007-09-19

Anita O'day 1958

「真夏の夜のジャズ」Jazz On A Summer's Day
(1959米バート・スターン)より
“Sweet Georgia Brown,” “Tea For Two”(8:21)



「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」とか申しますな。そのココロはと申しますってえと、ジャズてえもんは演ってナンボのモンで、アプリオリってんですか、演る前から「次の曲は名曲でございますから、ひとつご祝儀を」なんてえのが通用しねえ。どんな名曲であろうと演者の遣り口次第(しでえ)だとこういう意味らしいですな。

ここまでがマクラって奴でこっから本題に入りやすが、疲れたので普通にやります。

そういう訳でアニタ・オデイの「真夏の夜のジャズ」(@1958 Newport Jazz Festival )での歌唱は一世一代の名演だと思います。村上春樹が「ポートレイト・イン・ジャズ」(新潮文庫)の中でうまいこと書いていたのですが、今手元にないのでうろ覚えで記憶の中から引用を試みてみます。「午後の明るい光の中で歌うという【ジャズ・ヴォーカル】にとってこの上なく不利な条件のもとで、観客の耳目を惹きつけることに成功した。あるいはねじ伏せたと言ってもいい」というようなニュアンスだったと記憶します。

この映画に限らず観客のショットは逐一ステージと対応している訳ではありません。ひどいときは全く関係のないショットをつなぐ場合もあります。それに加えてアニタの顔のアップからバスト・ショットの多用は観客(映画の)をミスリードする可能性が高いと思います。あの顔は相当プラス・ポイントになったと思います。

以上のことを割り引いても、名唱だと思います。曲のアレンジというか構成に誰が責任を負ったのかは知りませんが、通常軽快なアップテンポで少々能天気に演奏される『スイート・ジョージ・ブラウン』をスローでルースなムードから始めて、一転気合注入したビートにのせてブルージーに決める、あるいは高速の『二人でお茶を』のノリの良さ、4バース・チェンジの決まり具合。すべてが上手くいったステージなのでしょう。うーん、シビレル。

2007-09-18

Françoise Dorléac & Catherine Deneuve 1967



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「ロシュフォールの恋人たち」 Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『双児姉妹の歌』La Chanson des Jumelles (3:46)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『デルフィーヌとランシアン』 De Delphine à Lancien (3:47)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『ソランジュの歌』 Chanson de Solange (2:30)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『夏の日の歌』 La Chanson d'un Jour D'été (3:16)



この映画はどこを取っても美味しい。今でも年に1度は無性に観たくなって、観始めると止まらなくなって結局最後まで観てしまうことが多い。好きなLPやCDを聴くように観られてしまうのだ。最初に観たときは、非現実的なロマンスであるとかドヌーヴの踊りが今ひとつなところとかが気になって手放しに大好きというほどではなかった。観直すたびにそんなことは取るに足らぬことだと思うに至ったのだと思う。そもそもこの映画はミュージカル映画だ。しかもハリウッド、とりわけMGMのミュージカルへのオマージュなのだ。

『双児姉妹の歌』(『双子の歌』):映画を観る前から大好きだった曲。本作で最も有名な曲でもある。ドヌーヴの歌はアン・ジェルマンの、ドルレアックの歌はクロード・パランの吹き替えで2人ともスイングル・シンガーズのメンバーという風にいろいろな資料に書いてある。確かにアン・ジェルマンはメンバーだが、クロード・パラン(Claude Parent)は、スイングル・シンガーズの公式HPでグループの歴史を見ても存在しなかった。だいたいクロードって男性の名前だよね。ミステリアスです。ご存知の方はご教示下さい。
『デルフィーヌとランシアン』:画商のランシアン(ジャック・リベロール)とデルフィーヌ(ドヌーヴ)の歌。リベロールの歌もジャン・ストーという人の吹き替え。高速のジャズ・ワルツでとても素人には歌える歌ではないわなあ。この歌が始まる前に薄ーく流れているのが『マクサンスの歌』のメロディで、「愛のテーマ」として映画のいろいろな部分に顔を出します。
『ソランジュの歌』:この映画の曲はジャジーな曲が多いのだが、最も器楽曲的なメロディーなのがこの曲。これまた女優さんには絶対歌えません。最後に「愛のテーマ」(前述した『マクサンスの歌』と同じメロディー)になって、姉妹のデュエットで終わります。ロマンティックな泣きのあるメロディだと思います。
『夏の日の歌』:映画の見せ場のひとつ。キレイな大画面の映像で観たいシーンです。3/4と4/4のパートがスムーズにつなぎ合わされた巧みな曲作りはミッシェル・ルグランの面目躍如です。

さすがルグラン=ドゥミ・コンビの最高傑作ということで他にも取り上げたい曲がいくつもあるのだが、また別の機会にします。


藤原義江・龍田菊江 Yoshie Fujiwara with Kikue Tatsuta 1943

「音楽大進軍」(1943東宝・渡辺邦男)より
『愛国行進曲』(2:51)



一、
見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ
二、
起(た)て一系の大君(おおきみ)を
光と永久(とわ)に戴(いただき)きて
臣民われら皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
往(ゆ)け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る

三、
いま幾度かわが上に
試練の嵐哮(たけ)るとも
断固と守れその正義
進まん道は一つのみ
ああ悠遠の神代(かみよ)より
轟(とどろく)く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇国つねに栄えあれ


(昭和十三年発表)

作詞:森川 幸雄
作曲:瀬戸口 藤吉
著作権:無信託(詞)、消滅(曲)

 ……作詞作曲共に公募された結果、総数5,700余詞、9,500余曲の中から、詞は鳥取県の23才の青年が、曲は「軍艦行進曲」の瀬戸口藤吉が一等当選した。当時70才の瀬戸口は病床にあり、「最後のご奉公」と作曲したという。レコードは6社から発売され、当時としては空前の100万枚を売り切った。
 歌詞の補作に当たった佐々木信綱と北原白秋の意見が衝突し、以後死別するまで一切口をきかなかったというエピソードもある。

以上「天翔艦隊」より転載させていただきました。
トップ頁:
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/tensyofleet.htm
該当頁:
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/aikokuko.html

ところで、コンサート会場が東洋劇場となっていますが、これはどこなのでしょうか? 浅草の現浅草演芸ホールでないことだけは間違いないと思いますが。ご存知の方はご教示下さい。

2007-09-17

Clint Eastwood 1982



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「センチメンタル・アドベンチャー」Honkytonk Man (1982米クリント・
イーストウッド)より “When I Sing About You”(1:46)



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「センチメンタル・アドベンチャー」Honkytonk Man (1982米クリント・
イーストウッド)より “Honkytonk Man”(1:02)

「センチメンタル・アドベンチャー」Honkytonk Man(1982米クリント・
イーストウッド)より “Honkytonk Man”(3:52)



今でこそ偉大なる映画作家クリント・イーストウッドということになっていて、人は彼の近作を安心してほめることができるけれども、80年代半ばまでのイーストウッドは「ダーティー・ハリー」役者(だけの人)と認識する向きが大半を占めていた。

本作などは東京ではロードショー公開されず、地方(沼津、宇都宮)で2本立て興行の1本として封切られた。その後名画座にかかる回数も少なかったと記憶している。そのせいか劇場で本作を見た人が比較的少ないようだ。イーストウッドが劇中で死んでしまう数少ない映画の1本で、個人的には彼の作品でベスト3に入る名作だと思うのだが、この映画をそこまで買っている人は少数派のようだ。

アル中で肺結核の売れない歌手という設定で、歌のおぼつかなさを誤魔化したと取る向きもあるようだが、それははっきり誤解だと言っておこう。イーストウッドは若いときから音楽家志向があって、ピアノの腕前などはなかなかのものだし、歌の吹き込みも結構ある。たしかに一流歌手と比べると特筆すべき魅力はないのだが、技術的には70年代のあまり歌の上手くないシンガー・ソングライター程度には歌える人だと思う。

Clint Eastwood.Net のRecordings という頁で彼のレコードが20曲ぐらい聴けるから是非聴いてみてほしい。

ジュークジョイントで歌う“When I Sing About You”は誰の曲か知らないけど、素朴でイイ感じの曲だ。ここでは発作も起きずに最後まで歌い終えている。店の外で座って聴きながら口ずさんだり、ギターのコードを押さえる真似をしている少年は、劇中では甥っ子、実際は息子のカイル・イーストウッド
(当時14歳)。その後何本かの映画出演を経て、現在はプロのミュージシャン(ジャズのベーシスト)となり、親父の映画の音楽を手がけたりしている。余談だが、イーストウッドは本作製作にあたってギブソン社に特注でギター2本を作らせたそうだ。映画撮了後は、親父が1本、息子が1本所有していて今でも弾いているらしい(息子談)。

映画のタイトル・ソング“Honkytonk Man”。上はカントリー・ミュージックの桧舞台「グランド・オール・オプリー」が収録されていたライマン劇場でのオーディション。下の映像はナッシュビルでのレコーディングだ。残念ながら台詞がドイツ語吹き替えのものしか見つからなかった。レコーディングの途中で発作を起こして歌えなくなってしまうのだが、途中で歌を引き継ぐのが『エル・パソ』などのヒット曲で知られる伝説的カントリー歌手マーティ・ロビンスだ。皮肉なことにロビンスは撮影後まもなく心臓発作でこの世を去ってしまう。完成した映画を観ることもなかったと伝えられている。享年57であった。

2007-09-16

CSN&Y 1969

‘Celebration At Big Sur’(1971米dir. by Baird Bryant & Johanna Demetrakas)より “Sea Of Madness,” “4+20” (8:25)

‘Celebration At Big Sur’(1971米dir. by Baird Bryant & Johanna Demetrakas)より “Down By The River ” (6:24)



1969年9月13日に行われたビッグ・サー・フォーク・フェスティヴァルでのライヴ。このフェスティヴァルは1964年から始まり、1969年は第6回にあたる。ビッグ・サーはサンフランシスコの約150マイル南、LAの約300マイル北の海辺の土地で、ヘンリー・ミラーやジャック・ケルアックが居住して小説の題材にしたことで知られている。フェスティヴァル会場はエサレンというニューエイジ系のワークショップ・センターで、ニューポートなどよりキャパシティが小さくて親密な雰囲気のフェスティヴァルだと言われている。

ニール・ヤング作の“Sea Of Madness”とスティーヴン・スティルスのソロ“4+20”の間に観客の一人とスティルスの小競り合いがはさまっているのがフェスの「親密性」を証明しているかも。あと、どうでもいいけど“Sea Of Madness”演奏中のストリーク(なのかあれは?)は仕込みっぽいね。

最後の“Down By The River ”での演奏はアルバム「4ウエイ・ストリート」をほうふつさせるエキサイティングなもの。まさにヴィンテージCSN&Yで、1か月前のウッドストック・フェスより歌も演奏も出来ははるかに良いと思う。

2007-09-15

Yma Sumac 1957

「勇者カイヤム」Omar Khayyam (1957米ウイリアム・ディターレ)より
曲目不明 Unknown Tune(2:27)


イマ・スマックを知ったのはハル・ウイルナーがプロデュースしたディズニー・トリビュート・アルバム‘Stay Awake’(1991)なので、大きな顔などできはしない。それ以来「モンド・ミュージック」の文脈でレス・バクスターがらみの音源を聴きかじった程度なので、彼女の全貌など見えているわけもなく現在に至っている。
4オクターブとも5オクターブとも言われる広い音域とアクロバティックで奇妙な歌いまわしで、一度聴いたら決して忘れられない声の持ち主である。ペルーの歌姫から50年代にはUSA進出を果たし、キャピトル・レコードと契約するとともにハリウッド映画にも出演するようになった。

名匠ウイリアム・ディターレ監督の本作は、11世紀のペルシャ帝国の詩人/数学者(天文学者)のオマー・カイヤムの物語。スマックの役どころはカイヤムの恋人の侍女カリーナ。故郷の村で「鳥の化身」と恐れられていたという伝説を持つ声が炸裂している。彼女の出演作にもう1本有名な「インカ王国の秘密」(1954)というのがあるので、後日取り上げてみようと思う。

ザ・ダイナマイツ The Dynamites 1968

「ケメ子の唄」(1968松竹・田中康義)より
『ユメがほしい』(0:43)



1968年に流行った『ケメ子の歌(唄)』にあやかってできた映画。GS映画というよりも「歌謡映画」といったほうがあたっているかもしれない。主演の小山ルミ扮するケメ子がゴーゴー・コンテストに出場しているシーンで、山口富士夫率いるザ・ダイナマイツが演奏をつとめている。GS研究家の故・黒沢進氏はザ・ダイナマイツを「2大R&Bバンド」のひとつと位置づけていた(もう1つはボルテイジというGS)。デビュー・シングル『トンネル天国』に続く第2弾『ユメがほしい』は、橋本淳作詞・すぎやまこういち作曲の凡庸な曲で、Bメロの最後はまるで『ブルー・シャトー』だ。

このクリップには出てこないが『ケメ子の唄』を歌ったジャイアンツが映画に出演している。そもそも『ケメ子の歌』を先に出してより多くヒットしたのはダーツというグループなのだが、なぜか後追いのジャイアンツの『ケメ子の唄』で松竹は映画をつくったのであった。

ところで作者不詳だというこの『ケメ子の歌(唄)』そのものが、フォーク・クルセダーズの『帰ってきたヨッパライ』を真似て早回しヴォーカルをフィーチャーした(このアイデアそのものは米のチップマンクスからだろう)二番煎じ・三番煎じのものなのであった。

2007-09-14

Elvis Presley 1958 vol.2



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「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『トラブル』Trouble (1:53)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ヤング・ドリームス』Young Dreams (2:13)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ざりがに』Crawfish (2:07)



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「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ディキシーランド・ロック』Dixieland Rock (1:47)



『トラブル』:ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのコンビによる曲。個人的にはエルヴィスの曲の中でもベスト5に入るほど好きな曲だ。マディ・ウォーターズの曲を思わせるリフとワン・コードで押すAメロ。ブルースになり途中でアップテンポに変わるBメロ。エルヴィスのエキサイティングな歌唱。素晴らしい。内田裕也がブルー・コメッツをバックにしたカヴァー・ヴァージョンもカッコいいです。
『ヤング・ドリームス』:のちにジーン・ピットニーのマネージャーを経て音楽業界の大物になるアーロン・シュローダーとマーティン・カルマノフという人が書いた曲。2ビートでバウンスするミディアム・テンポを基調としたバラード的な曲。
『ざりがに』:フレッド・ワイズとベンジャミン・ワイズマンのコンビの曲。映画冒頭でザリガニ売りの黒人女性歌手キティ・ホワイトとエルヴィスが掛け合いで歌う曲。南部ムードが横溢していて、トニー・ジョー・ホワイトが歌ってもおかしくないスワンピーでソウルフルな曲だ。渋い。
『ディキシーランド・ロック』:クロード・デミトリアス(「冷たい女」の作者)とロイ・C・ベネット(「ニュー・オーリンズ」の作者)のコンビによる曲。シャーリー&リーあたりのニュー・オーリンズR&Bをほうふつさせるリズム・パターンで始まり典型的なエルヴィス調のR&Rが展開される佳曲。

なお「冷たい女」「訳はゆるして」「さらばハイスクール」の3曲は諸般の事情により取り上げませんでした。ご容赦下さい。

2007-09-13

Elvis Presley 1958 vol.1

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『キング・クレオール』King Creole (2:07)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ニュー・オーリンズ』New Orleans (1:57)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『君と生きる限り』As Long As I Have You (1:43)

「闇に響く声」King Creole (1958米マイケル・カーティス)より
『ラヴァー・ドール』Lover Doll (2:08)



「監獄ロック」(1957)に続く第4作目(主演第3作目)の映画。エルヴィス自身が最も好きだった作品とも伝えられている。エルヴィス映画で唯一鑑賞に堪える映画と評する人もいるが、エルヴィス映画を全て観たわけではないのでそこまではわからない。しかし、音楽的にはなかなか充実した作品ではないかと思う。

ニューオーリンズを舞台としたストーリーということで、ディキシーランド・ジャズっぽい味付けを施すなど若干の冒険的と言えなくもない試みもしていて、なかなか聴かせる。それよりも問題なのは、入隊前の最後の作品だということである。

一般的に除隊後のエルヴィスは駄目説が根強くある。軍隊が彼から反抗的なイメージを拭い去ってしまったというもっともらしい俗論。マネージャーのパーカー大佐がエルヴィスを契約によってハリウッドに釘付けしてしまったため、音楽的な発展性を阻害されてしまったという同情論。それにも関わらず60年代にも「天才エルヴィス」はイイ仕事も残してるよというお宝埋蔵論。いずれかを是とする、あるいは新論を立てる力量を持たぬので判断は留保するが、軍隊への入除隊がターニング・ポイントになったというのは確かなのだと思う。


『キング・クレオール』:『監獄ロック』や『ハウンド・ドッグ』(オリジナルはビッグ・ママ・ソーントン)の作者ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのコンビによる曲。セカンドラインを高速にしたようなビートが面白い。おそらくスコティ・ムーアが弾いているであろうリード・ギターをエルヴィスが弾いてるような演出はちょっと興ざめ。ジョーダネアーズのコーラスがこの曲にはハマっている。
『ニュー・オーリンズ』:『ブルー・レディに赤いバラ』の作者で知られるシド・テッパーとロイ・C・ベネットのコンビの曲。ホーンがディキシーランド・ジャズしている。
『君と生きる限り』:フレッド・ワイズ(作詞)とベン(ジャミン)・ワイズマン(作曲)コンビのバラード。ベンジャミンはボビー・ヴィーの『夜は千の眼を持つ』で知られた作曲家。ファンには人気の高い曲らしい。
『ラヴァー・ドール』:ウェイン・シルヴァーとアブナー・シルヴァーのコンビの曲。この2人については何も知らないが、ちょっと面白い曲だと思う。Aメロが循環コード(ガーシュインの『アイ・ガット・リズム』の進行)なので古い世代の作曲家なのだろうと思うが、Bメロ(サビ)で50年代後半当時の当世風になるという構造になっている。エルヴィスの鼻歌風の力の抜けたヴォーカルもイイ湯加減。(vol.2に続く)

2007-09-10

João Gilberto, Luiz Bonfá & Antonio Carlos Jobim 1962

‘Copacabana Palace’(1962伊・仏・伯dir. by Steno)より
“Cancao Do Mar”(1:36)


‘Copacabana Palace’(1962伊・仏・伯dir. by Steno)より
“Só Danço Samba”(1:35)



日本未公開。若き日のジョアン・ジルベルト、ルイス・ボンファ、A.C.ジョビンが出演したほとんど唯一の映画である。DVD化もされてないようなので当然未見の作品だが、縁あってこの映画のことは少し前から知っていた。知り得た情報によると映画自体は取るに足りないものとのことだが、音楽関連のシーンには他にも見所が若干あるらしい。

“Cancao Do Mar”はボンファとMaria Helena Toledoの曲。映画で最初に歌うのがボンファ、次がジルベルトで、最後に歌う上半身裸の男がジョビンである。“Só Danço Samba”はジョビンとヴィニシウス・ジ・モラエスの曲。エラ・フィッツジェラルドなどもレパートリーにする有名曲である。後者の曲ではジルベルトが発明したボサノヴァのギター奏法「バチーダ」も垣間見ることができる。なお、ジルベルトと共演しているのはOs Cariocasというグループです。

李香蘭 Kouran Ri/Xianglan Li 01(1940)

「支那の夜 前篇・後篇」(1940東宝=中華電影公司・伏水修)より
『蘇州夜曲』その1(3:46)


「支那の夜 前篇・後篇」(1940東宝=中華電影公司・伏水修)より『蘇州夜曲』その2(2:30)

「支那の夜 前篇・後篇」(1940東宝=中華電影公司・伏水修)より『シナの夜』(7:40)


満映の関連会社とされる日中合弁の中華電影公司と東宝が製作した「国策映画」。長谷川一夫・李香蘭主演の「大陸3部作」の1本で、1作目「白蘭の歌」(1939渡辺邦男)、3作目「熱砂の誓ひ」(1940渡辺邦男)の間にはさまれた2作目にあたる。

「李香蘭=山口淑子」のデビューに当たっては満映2代目理事長の甘粕正彦の意図が大きく働いていたとも伝えられている。中国娘と日本の船員の恋愛ドラマはたしかに「五族協和」を意図したプロットなのだろうと思う。劇中李香蘭が長谷川一夫に平手打ちされながらも惹かれていくという描写が、中国国内で国辱的と受け取られた、あるいは「支那の夜」は中国国内では「上海之夜」として封切られたとも聞く。そんな経緯から戦後は「蘇州夜曲」と改題された。余談だが「支那」が蔑称であるなら、英語のChinaなどにも同様にクレームをつけてほしいものだと思うこともあるが、これ以上深入りしないことにする。

『蘇州夜曲』、『シナの夜』は映画では李香蘭が歌い、レコードでは渡辺はま子が歌った。もともとこの映画は渡辺はま子の『シナの夜』の大ヒット(1938年)にあやかって製作された経緯があり、一種の「歌謡映画」でもある。『蘇州夜曲』は西条八十作詞・服部良一作曲の日本歌謡史上屈指の傑作。『シナの夜』は西条八十作詞・竹岡信幸作曲の有名曲(現在では替え歌の春歌のほうが有名か?)。いずれも中国的な旋法を活かしたエキゾチックなメロディを持った曲だ。劇中にもう1曲『想兄譜』(西条=竹岡)があるのだが、今回は映像が見つからず紹介できなかった。

2007-09-09

Bob Crew 1968



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「バーバレラ」Barbarella(米仏1968ロジェ・ヴァディム)より
『バーバレラ』Barbarella(4:48)



フレンチ・コミックが原作のエロチックSF大作。フェリーニの映画の製作などで有名な大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが指名した監督はロジェ・ヴァディム。ヴァディムの当時妻だったのがジェーン・フォンダという関係である。

ヴァディムはゴダールの名言「誰はばかることなく女優とつきあうことができるのが映画監督」の実践者で、ブリジット・バルドー(最初の妻)、アネット・ヴァディム(2度目の妻、「血とバラ」など)、カトリーヌ・ドヌーヴ(子供はつくれど結婚せず)などイイ女を片っ端から自分のものにした。まるで「課外教授」(1971)のロック・ハドソンのように。

女優を綺麗にエロティックにフィルムに定着させることにかけては誰にも負けないヴァディムが手がけたシーンの中でもかなりの上位にくるであろう「バーバレラ」のオープニング。本当は歌っているボブ・クルーが姿を見せていないので、このブログのルールでは反則なのだが勘弁して下さい。

ドリュー・バリモアがリメイクの権利を持っていて、おそらく自分の主演でリメイクを画策していると聞くがどうなのでしょうか。オリジナル「バーバレラ」のチープなつくりを現在のCG技術で完璧なSF映画にすることにも疑問があるけど、それより何より今のアメリカに女優を魅力的に撮れる監督がいるのだろうか?

ボブ・クルーはフランキー・ヴァリ&ザ・フォーシーズンズのプロデューサーで彼らのヒット曲の多くに作曲者としても名を連ねている人。自らボブ・クルー・ジェネレーション名義でヒット曲も出している。昨今はソフト・ロック、サイケデリックの文脈でも聴かれていて『バーバレラ』は大人気曲のひとつだ。

柳家金語楼 Kingoro Yanagiya 1958

「おトラさん大繁盛」(1958東京映画=東宝・小田基義 )より
『おトラさん』(0:43)



西川辰美という人の4コマ漫画が原作の「おトラさん」シリーズ。もとはKR=現TBSのテレビドラマ(1956年4月6日~1959年10月25日放送)だったものの映画化で全部で6本製作された。「おトラさん大繁盛」は最終作。ちなみにあとの5本は順に「おトラさん」(1957)、「おトラさんのホームラン」(1958)、「花ざかりおトラさん」(1958)、「おトラさんのお化け騒動」(1958)、「おトラさんの公休日」(1958)で監督はすべて小田基義。この人はゴジラ第2作「ゴジラの逆襲」(1955)の監督として知られている。なお「おトラさん大繁盛」は渥美清の映画デビュー作品でもあるそうだ。

金語楼さん自ら「有崎勉」のペンネームで脚色を手がけた作品で、ノッて演じた作品のようだ。海外ではズバリ「メイド・ドラマ」というジャンルがあるのだが、わが国では「女中」から「家政婦」、「お手伝いさん」を経て「ホームヘルパー」などと呼ばれるに至った経緯を持つこの職業婦人を主人公にしたドラマはあまり多くはない。

男の芸人がお婆さんを演じる系譜を論じるのも面白いと思ったのだが、力量不足でできる気がしないので今後の課題としておこう。