2007-08-30

Virginia Mayo 1948



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「ヒット・パレード」A Song Is Born (1948米ハワード・ホークス)より
“Daddy-O” (3:08)


「教授と美女」(1941)のリメイク。ハワード・ホークスの映画はどれを観ても面白いのだけれど、残念ながら本作は最も印象の薄い作品だ。その原因の大部分は主役の2人、ダニー・ケイとヴァージニア・メイヨの健康的というか健全なイメージのせいかもしれない。クーパー&スタンウィックのコンビに比べてエロスが足りないと思う。

主役2人の弱さを補うためなのか、ゲスト・ミュージシャンは豪華だ。このクリップには出てこないが、ルイ・アームストロング、ライオネル・ハンプトン、ベニー・グッドマンらのジャズ・ジャイアンツからバック&バブルス、ゴールデン・ゲイト・カルテットなどの興味深い顔ぶれが勢揃い。音楽マニアでもあったというホークスの面目躍如のキャスティングだ。

『ダディ・オー』はジーン・デポール作曲のわりと知られた曲で、ダイナ・ショアをはじめ多数の歌手が歌っている。メイヨの吹き替えをやっているのはジェリ・サリヴァンという歌手で、この人は『ラムとコカコーラ』の作曲者でもあるらしい。伴奏楽団がオリジナル作のビッグ・バンドからピアノ・トリオ(キング・コール・トリオと同じく、ピアノ+ギター+ベースの編成。Page Cavanaugh trio)になったのも音楽界の趨勢を反映していて感慨深いものがある。

2007-08-28

Barbara Stanwyck 1941

「教授と美女」Ball of Fire (1941米ハワード・ホークス)より
『ドラム・ブギ』 Drum Boogie (5:16)



『監督ハワード・ホークス「映画」を語る』(1989青土社刊)の中でホークスが『白雪姫と七人の小人』をもとにプロットを組み立てた旨の発言をしていたと記憶する。しかしながらバーバラ・スタンウィックはゲーリー・クーパーを誘惑する白雪姫である。ナイトクラブで歌われる『ドラム・ブギ』は伴奏するジーン・クルーパ楽団の当たり曲。伴奏と書いたが、この当時の音楽シーンの主役はビッグ・バンドで、歌手はあくまで楽団専属の被雇用者の立場であった。ちなみにスタンウィックの歌は、ベニー・グッドマンのカーネギー・コンサートなどで知られるマーサ・ティルトンの吹き替え。

スタンウィックはビリー・ワイルダーの「深夜の告白」(1944)が有名だが、何といってもプレストン・スタージェスの「レディ・イヴ」(1941)が最高のハマリ役で、ホークスの「赤ちゃん教育」(1938)やレオ・マッケリーの「新婚道中記」(1937)と並ぶスクリューボール・コメディの代表作だと思う。

いしだあゆみ Ayumi Ishida 1969

「クレージーの大爆発」(1969東宝・古沢憲吾)より
『恋はそよ風』(1:48)



橋本淳作詞、筒美京平作曲の佳曲。1969年4月15日発売のシングル曲(コロムビア)で『涙の中を歩いてる』のB面だった。個人的にはA面曲よりも好きかもしれない。

しかし歌の合間の小芝居が邪魔だなあ。実際には渡辺プロの抱き合わせ戦略で、クレージー映画に強引に出演させていたのだろうが。一般的に言って、日本映画では1曲の歌を芝居の進行を止めてまるごと見せるということをほとんどしない。芝居を同時進行するにしても、もっとスマートに処理して欲しいものだ。

本末転倒だと言われるかもしれないが、この垢抜けなさが昔も今も日本映画の大きな欠陥だと思っている。もっとインド映画やゴダール映画を見習って欲しいものである。

Marvin Gaye 1973

‘Save The Children’(1973米Stan Lathan)より
“What's Going On ~ What's Happening Brother”(9:05)



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‘Save The Children’(1973米Stan Lathan)より
“Save The Children ~ God Is Love ~ What's Happening Brother”
(4:45)



幻の映画である。日本未公開。現在DVD化もされてないけど、かつてヴィデオ化されたことあるのかなあ? サントラもモータウンから出ていたけど未CD化。アナログ盤は中古でよく見かけたけど今でもあるかな。そういう訳で映画も未見ならサントラも未聴です。レヴュー資格なしなんだけど、映像を観た感想でもメモっとこう。

モータウン・フィルム製作。思えば70年代ベリー・ゴーディ・ジュニアは映画製作に熱心であった。「ビリー・ホリデイ物語」、「ウイズ」など。儲かった金のほとんどをギャンブルにつぎこんでしまって経営難に陥り、モータウンを手放したといわれているゴーディ社長だが、経営難の一因には映画製作もあったのではないかと推測する。

さてマーヴィンの出演シーンだが、上の映像はマーヴィンのバイオ・ヴィデオからの孫引きである。したがってこちらに編集が施されていると考えるのが自然だが、下の映像の編集の方がより不自然だったりするので、どちらが公開された映画と同じものなのやら判断がつかない。

公開版はともかく実際の演奏はアルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」の曲順通り「ホワッツ・ゴーイン・オン~ホワッツ・ハプニン・ブラザー~(フライン・ハイ)~セイヴ・ザ・チルドレン~ゴッド・イズ・ラヴ」というA面全曲がメドレーで演奏されたのではないかと想像する。クーッ!フル・ヴァージョンが観たいぜ。伝説のベーシスト、ジェームス・ジェマーソン・シニアの雄姿が泣かせる映像である。

2007-08-22

Curtis Mayfield 1972

「スーパーフライ」Superfly (1972米ゴードン・パークス・ジュニア)より
『プッシャーマン』Pusherman (3:24)



Wikipediaを見ると、この映画はBlaxploitation(ブラックスプロイテーション)映画などと分類されている。エクスプロイテーション映画の黒人版ということである。エクスプロイテーション映画とは何か? 簡単に言うと、日本でいうところの「プログラム・ピクチャー」のキワモノ版である。元来は否定的・軽蔑的な呼称であったが、ロジャー・コーマンのニューワールド・ピクチャーズの再評価などに伴って、良質のB級映画を含む作品群であるとの認識がされるようになってきた。

公開当時、日本ではブラック・ニューシネマという呼び方をしていたのではないか。なるほど『プッシャーマン』は、ニューシネマの代表作「イージー・ライダー」冒頭の『ザ・プッシャー』(ステッペン・ウルフ)に対応しているかもしれない。しかしながら“I'm your pusherman”である。毒気の強さは『ザ・プッシャー』の比ではなかろう。こんな歌をpushermenがうじゃうじゃいるクラブで歌って大受けとは。

それにしても気持ちの良いサウンドだ。2小節単位で繰り返す同一のベースラインの上に2つの分数コードが白玉でリフレインするAメロ。1回しか出てこないBメロ(サビ)。60年代には大メロディ・メーカーだったカーティスの70年代の到達点である。顔見せはこのシーンだけだが、劇中で使用された『スーパーフライ』、『フレディーズ・デッド』など傑作ぞろいだし、劇伴音楽のストリングスの緊張感も素晴らしい。

2007-08-21

James Brown 1965

「スキーパーティー」Ski Party (1965米アラン・ラフキン)より
『アイ・フィール・グッド』 I Got You(I Feel Good) (3:01)



JBのファンク路線のド初期の曲。後年の貫禄のあるJBもよいが、やはり若くてスリムで足さばきも軽やかなこの時期のJBは文句なしにカッコいい。60年代後半から70年代初期にかけてのJBは無敵である。

スキー場にJB & His Famous Flamesというのは、製作者側は気の利いたジョークのつもりなのだろうか? 1965年当時の公民権運動華やかなりし世相を考えると、リベラルなつもりだったんだろうなあ。国際級のスキー競技に現在でもアフリカ系の人たちがなかなか出てこられないのは、スキー界に人種差別の壁というよりも人種間に経済的な格差が存在するためなんだろうなんてことまで考えてしまった。

西田佐知子 Sachiko Nishida 1963

「アカシアの雨がやむとき」(1963日活・吉村廉)より
『アカシアの雨がやむとき』(2:22)



1960年に発売され、1962年に大ヒットし、1963年に歌謡映画化されるという現在では考えられないユルーいペースで世に広まった歌。60年安保のときにデモに参加した学生たちが歌ったとかいう伝説が流布され、安保後の「挫折」ムードとこの歌の持つペシミスティックな雰囲気がシンクロして、いわゆる「時代と寝た」と評される歌の典型的な例となった。

伝説とは切り離しても「イイ歌」、「イイ歌唱」だと思う。かつて平岡正明が山口百恵を論じたときに「西田佐知子~いしだあゆみ~山口百恵」というノンビブラート唱法の女性歌手の系譜を紡ぎ出したのを思い出した。この人はいわゆる「イイ声」ではないのだけれど独特の喚起力があって、それこそ歌に憑依する巫女さん体質が強烈にあるのだと思う。

しかしながら、この歌は西田の最上の作品ではない。何といっても『くれないホテル』(筒美京平作曲)が彼女の否戦後歌謡曲の最高の到達点だと思う。

Louis Prima 1944

Short film‘The Band Parade’(1944?米)
“That Old Black Magic,” “Harmonica Quintette,” “Porgy,”
“Get On Board Little Chillen,” “Sing Sing Sing” (total=8:20)



このフィルムの来歴がわからない。IMDBを見てもそれらしいのがフィルモグラフィ(TV出演もリストアップされている)に見当たらない。いくつかのサイトに出ていた情報をもとに1944年制作としたが、不明なところが多くて困っております。ご存知の方はご教示下さい。

「ポーギー」を歌う女性歌手は40年代後半からコンビを組むキーリー・スミスではなく、リリー・アン・キャロルという人のようです。それから2曲目のハーモニカ・クインテットは明らかにルイ・プリマ・オーケストラとは無関係でゲスト出演だと思うのですが、誰だか分かりません。これもご存知の方がいらしたら教えて下さい。

最後の『シング・シング・シング』はベニー・グッドマンで知られた曲だが、プリマ作で一番有名な曲かもしれない。このフィルムには登場しないが、プリマのレパートリーでほかに有名なのはデヴィッド・リー・ロスがカヴァーして大ヒットした「ジャスト・ア・ジゴロ」だろう。この曲はプリマ作ではなくて、正確には「ジャスト・ア・ジゴロ~アイ・エイント・ガット・ノーバディ」のメドレーなのだが、まるで最初からこういう曲だったようなナチュラルで粋なメドレーである。とにかくルイ・プリマは粋な才人だと思います。

2007-08-20

江利チエミ Chiemi Eri 1956

「江利チエミのサザエさん」(1956東宝・青柳信雄)より
『テ・キエロ・ディヒステ』Te Quiero Dijiste (2:59)



10本もつくられた江利チエミのサザエさん映画第1作。映画の後TVシリーズでも主役をつとめ、サザエさんといえば江利が元祖のように思われがちだが、1948年にマキノ映画が荒井良平監督・東屋トン子主演で「サザエさん・前後篇」、1950年に「サザエさん・のど自慢歌合戦」(東洋スタジオ製作)をすでに撮っている。

フグ田マスオ役は小泉博。マキノ正博の旧「次郎長三国志」シリーズで追分三五郎をやったり、怪獣映画に出ていたぐらいの記憶しかない人。むしろCX「クイズグランプリ」の司会者といえば一番通りがいいかも。出演者はほかに、波平=藤原釜足、舟=清川虹子、ワカメ=松島トモ子、ノリ助=仲代達矢など。

江利が歌うはメキシコの大スタンダード『テ・キエロ・ディヒステ』。マリア・グレベールという人の曲で、ダイナ・ワシントンで有名な『恋は異なもの』の原曲も彼女の作品だ。江利の歌唱はかなりいい。元祖・三人娘の中では美空よりも江利が好きだ。ラテンやジャズなど洋楽をやらせたら、信者には申し訳ないがひばりさんは問題にならないと思う。洋楽カヴァーの充実度に比べて、日本語のオリジナルで代表作を残せなかったのが江利の弱点だが、三木トリロー作品集に入っている江利の歌などは絶品である。

Jimmie Rodgers 1929



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Short movie "The Singing Brakeman"(1929米ベイジル・スミス)より
“Waiting For A Train,” “Daddy And Home,” “T For Texas” (total=7:57)



ある時は「カントリー・ミュージックの父」と呼ばれ、またある時は「歌うブレーキマン」と呼ばれ、そしてまたある時は「ブルー・ヨーデラー」と呼ばれた男。それがジミー・ロジャース。アメリカ音楽史のお勉強ノリでなく、彼の魅力がストレートに伝わってくる映像だ。

IMDBなどを見るとこのフィルムは10分間となっているので、元々はフィルムの前後や曲間にクレジット画面があったものをカットしたのかもしれない。ジミー・ロジャースは後進のアーネスト・タブやハンク・ウイリアムスに強い影響を与えながら、1933年5月26日結核でこの世を去った。享年35の若さであった。

2007-08-19

内田裕也 Yuuya Uchida 1966


「クレージーだよ奇想天外」(1966東宝・坪島孝)より
『俺のハートは3333万3330℃』(3:32)



クレージーキャッツ映画で唯一谷啓主演の作品。SFコメディで谷が演じるのは宇宙人ミステイク・セブン。ダニー・ケイの「虹を掴む男」(1947)と手塚治虫の「W3(ワンダー・スリー)」(1965)を混ぜ合わせたようなプロットであった。小学生のときに観て非常にショックを受けた作品なので、観直してとんでもない愚作だったらどうしようかという思いからあえて観ないようにしていたのだが、10年ほど前に観直したところ現在でも鑑賞に耐えるなかなかの佳作だったのでホッとした。

劇中歌では、谷啓の『虹を渡ってきた男』という歌が好きで映像があれば取り上げたいところなのだが、またの機会に譲ることにして、若き内田裕也の歌である。軽佻浮薄にバンドマン用語を多用する、チンピラ上がりの遅れて来たロカビリー歌手が裕也さんの役どころ。なかなかキャッチーな佳曲で、歌詞の大げさなところが裕也さんにピッタリで笑わせる。クソまじめなロックなんてお呼びじゃないよ。ロックはこうでなけりゃいけません。

Richard Manuel 1969


「ウッドストック」Woodstock(1970米マイケル・ウォドレー)アウトテイクより『怒りの涙』Tears Of Rage (5:19)



オリジナル版に入っていなかったザ・バンドの『怒りの涙』を取り上げるのは反則だと思うのだが、勘弁してください。この曲のリード・ヴォーカリストであるリチャード・マニュエルのアップばかりで他のメンバーの姿がちっとも見えないけれど、全く不満を感じさせない絶唱だと思う。思えばデビュー・アルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」はこの曲で始まったのでありました。

ボブ・ディランとマニュエルの共作だが、ディラン・ヴァージョンは別曲かと思うほどドライな仕上がりで「泣き」がない。ザ・バンドのヴァージョンは「泣き」があるといってもベタベタに湿った手触りのものではなく、人生の諦観を感じさせる哀愁があるといったら陳腐な形容になるだろうか。1943年生まれのマニュエルはウッドストック当時は弱冠26歳だったわけで、その老成ぶりに改めて驚かされる。

2007-08-17

Anna Karina 1961

「女は女である」Une Femme Est Une Femme (1961仏J.L.ゴダール)より『アンジェラの歌』 Chanson D'Angela (2:11)


この映画の音楽担当はミッシェル・ルグランで『アンジェラの歌』も彼が手がけた。ゴダールとルグランは思いのほかコラボ作が多くて、一般的にルグランといえば「シェルブールの雨傘」ほかのジャック・ドゥミー監督との結びつきのイメージが強いのだが、ゴダールとの諸作も非常に興味深いものがある。本作以外では「怠惰の罪(新・七つの大罪の1編)」(1961) 「女と男のいる舗道」(1962) 「立派な詐欺師」(1963) 「はなればなれに」(1964) 「モンパルナス=ルヴァロワ(パリところどころの1編)」(1965) 「未来展望(愛すべき女・女たちの1編)」(1966)が2人のコラボ作である。

『アンジェラの歌』はルグランらしい小洒落た曲で、サントラ盤として出たレコード・CDにはごく普通のアレンジで収められている。ところが本編では、お聴きの通り歌に入ると伴奏のピアノがピタッと止むという一種ダブのような処理がされている。後の「右側に気を付けろ」(1987)の萌芽ともいえる試みだ。ゴダールの音楽の付け方は唯一無二で、一作一作驚かされることが本当に多い。

モップス The Mops 1968

「星影の波止場」(1968日活・西村昭五郎)より
『朝まで待てない』『ベラよ急げ』(2:07)
「こわしや甚六」(1968松竹・市村泰一)より『ベラよ急げ』(2:26)



今年亡くなった先人2人への鎮魂歌。モップスのリード・ヴォーカル鈴木ヒロミツと作詞家・阿久悠。『朝まで待てない』は阿久悠の最初のヒット曲だ。いわゆる出世作というやつだろう。作曲は『朝まで待てない』が村井邦彦で『ベラよ急げ』は大野克夫。

『朝まで待てない』の歌詞世界はグラス・ルーツが歌い、日本ではテンプターズがデビュー曲のB面でカヴァーした『今日を生きよう』(日本語詞:なかにし礼)を参考にしたと思しい。2人称に「君」とか「貴女」とかを多用していたGSの歌詞において「お前」というワイルドな2人称の使用が新鮮だった記憶がある。

もっともテンプターズはすぐに「君、貴女」の世界に転向し、「お前」を通せたのはモップスなど少数派であったと思う。鈴木ヒロミツ氏のパーソナリティゆえであろう。お二人のご冥福を改めてお祈りしたい。

2007-08-14

Cab Calloway & Nicholas Bros. 1943


「ストーミー・ウェザー」Stormy Weather(1943米アンドリュー・
ストーン)より『ジャンピン・ジャイヴ』Jumpin' Jive (4:47)



「ストーミー・ウェザー」のハイライト・シーン。キャブの狂乱振りもよいけれど、主役はやはりニコラス兄弟。相撲取りの股割りを思わせる開脚にアクロバティックな動き。圧巻です。1980年ごろ原宿の某店ではじめて観たとき、すぐ近くの席に阿佐田哲也こと色川武大氏も来ていたのだが畏れ多くて話しかけることもできなかった。氏との唯一の接近遭遇であった。

その後ニコラス兄弟の映像に数々接すれども、この映画を超えるものには巡り合っていない。幼い頃の兄弟の映像を観て、越後獅子の世界だなあと感じ入ったこともあったけれども。

「ストーミー・ウェザー」のリナ・ホーン、ミスター・ボージャングルス=ビル・ロビンソン、トランプ・バンド=ジョー・キャロルについては後日改めて。

Breno Mello 1959


「黒いオルフェ」Orfeu Negro (1959仏=伊=伯マルセル・カミュ)より
『カーニバルの朝』 Manha De Carnaval (1:46)



この映画、記憶に残る最初の映画(の1本)なんです。当然親に連れられて見に行ったのだが、なぜこんなものを観せてくれたのか? 特に音楽ファンでもなく、ましてブラジル音楽などに興味がないうちの父親が。思うにテレビが家を侵略する前の日本の平均的家庭では、映画を観ることが手近な娯楽であり、その後の父親の映画の好みから推測するにはあまり考えもなく観る映画を選んだのだと思う。すなわち偶然と書いて「たまたま」です。でもその偶然に感謝。

ルイス・ボンファ作の『カーニバルの朝』、ちょっと俗っぽいけど名曲だと思います。ジョビンが手がけた他の曲のほうが今では好きだったりするのだけれど、忘れがたい曲です。このシーンのバックにオフ気味に流れるサンバ・ビートは、いわゆる「音のモンタージュ」とか、演劇でいうところの「異化効果」ってやつがねらいなのだと思うけど、そんな小賢しさを振り払い勇気を持ってベタに歌い上げても(ということはバックのビートをフェイドアウトしても)良かったのではないかと思いますがいかがでしょうか。

2007-08-13

Fats Waller 1943


「ストーミー・ウェザー」Stormy Weather(1943米アンドリュー・
ストーン)より 『浮気はやめた』 Ain't Misbehavin' (2:43)



ファッツ・ウォーラーの代表作のひとつ。この曲は他にも数種類のフィルムがあり、おねえさんがたをはべらせたそちらの方がウォーラーらしいとも言える。しかしながらこの映画での共演メンバーはなかなか豪華である。トロンボーンのアルトン・ムーア、クラリネットとテナーにジーン・ポーター、ベースにスラム・スチュワート、ドラムスにズッティ・シングルトン、そしてギターにアーヴィング・アシュビー。ギターだけはおなじみのアル・ケイシーの方がよかったかもしれない。いずれにしても素晴らしい演奏と歌であることにかわりはない。

この映画「ストーミー・ウェザー」は同年制作の「キャビン・イン・ザ・スカイ」(ヴィンセント・ミネリ監督作)と並んでしばしば最初のオール・ブラック・キャスト映画とされていて、それはたしかにメジャー映画会社では初なのかもしれないが、先にあげた1938年の‘The Duke Is Tops’などはすでにオール・ブラック・キャストなわけで調べればいくらでも先例が出てくると思う。そもそもレコードと同じように映画も黒人マーケットに向けた作品群が存在するのです。

ファッツ・ウォーラーは、この映画出演後同年の12月15日に亡くなってしまった。享年39の若さであった。

オー・ジョンヘ Jung-Hae Oh 1993

「風の丘を越えて/西便制」Seopyonje (1993韓国イム・グォンテク)
より 『珍道アリラン』Jindo Arirang (5:03)



養父ユボン(キム・ミョンゴン)、弟トンホ(キム・ギュチョル)そして主人公ソンファ(オー・ジョンヘ)の放浪芸人一家が、田舎道を楽しそうに歌い歩くシーンである。固定されたカメラに向かって、超ロングから次第に近づいてきて熱唱し通り過ぎるまでの5分以上の長回し。感動的なシーンだ。

パンソリについて知らなくてもアリランについて知らなくても、ましてや恨(ハン)など知らなくともオー・ジョンヘの歌は感動的である。それでいい。付け加えるものは何もない。

蛇足を少し。この作品の続編が今年つくられ、公開される(された?)らしい。キャストやスタッフなど詳細については知らないのだが、何となくいやな予感がする。この話には語り残した部分がないと思っているのでね。杞憂に終わってくれればよいのだが。

Hoagy Carmichael 1939


‘Hoagy Carmichael featuring Jack Teagarden and His Orchestra with Meredith Blake’(1939パラマウント、1巻もの)
曲目: “Two Sleepy People,” “That's Right, I'm Wrong,”
“Washboard Blues,” “Lazybones,” “Rockin' Chair,” “Stardust” (total=10:04)


左のCDジャケットにあるごとくシンガー=ソングライターの草分け的存在。ここで歌われた曲以外でも「ジョージア・オン・マイ・マインド」「スカイラーク」等々名曲・佳曲が多数ある。ロウ・スクールまで卒業したお坊ちゃん育ちながら法律家にならずに音楽の道を選んだわけだが、生涯を通して優雅な芸能活動を続けられたベースには彼の曲が生み出してくれた印税があるのだと思う。

この1巻もの映画でも「俺が俺が」とでしゃばるわけでなく悠然とした姿が見られるが、その背景にはもうひとつ見ておくべき事情がある。当時の音楽界での主役は生演奏・レコード・ラジオを通して人々を踊らせる「楽団」であって、「歌手」は楽団の付属物扱いされていたのだ。この事情が逆転するのが、1942年から1943年に渡って起こった「第1回吹き込みストライキ」前後のことである。

2007-08-12

笠置シヅ子 Shizuko Kasagi 1950


「ペ子ちゃんとデン助」(1950松竹・瑞穂春海)より
『買物ブギ』(3:52)



作詞:村雨まさを、作曲:服部良一となっているが、この「村雨まさを」は服部良一が作詞するときのペンネームなのである。よく話題になる「わしゃつ××で聞こえまへん」「これまため××で読めまへん」は単なるナンセンスで罪はないと思うのだがいかがだろうか。

この歌で思い出すのは相米慎二の「雪の断章」(1985東宝)で、ストーリーと全く関係がないシーンでこの歌がたしかフルコーラス使われたと記憶しているのだが、その後一度も観直していないのでちょっと自信がない。かなり変わった使い方だったが異様な迫力があって、映画のほかのシーンはほとんど忘れてしまったが今でもそのシーンははっきり憶えている。

Dizzy Gillespie 1946


‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Groovy Man” (2:47)



‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Salt Peanuts” (3:55)



ミュージシャンシップとエンターテイナー魂の結合というか、あるいは逆に大いなる乖離といったらいいのか、ディジー・ガレスピーもまたパーカーに劣らぬ変人であった。

ジョー・キャロルとの掛け合いヴォーカルなど、この手の試みはシリアスなジャズ・リスナーからの受けが悪かったせいか次第に少なくなっていってしまったのは残念だった。バップもできるエンターテイナーの道もあったのではないかと思われてならない。

ガレスピーのビッグ・バンドへのこだわりは晩年まで変わらなかった。彼の手がけたビッグ・バンド中、1946~1950年のいわゆる「第2期ガレスピー・ビッグ・バンド」は随一のバンドだった。ビッグ・バンド史上最もエキサイティングなバンドのひとつだと思う。メンバーもレイ・ブラウン、ケニー・クラーク、ミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス等々豪華キャスト。この映画の少しあとでチャノ・ポソが加入してアフロ・キューバン・ジャズを繰り広げることになるのだが、それはまた別のお話。

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2007,9/18 “Salt Peanuts” を追加しました。

Dorival Caymmi 1950

‘Estrela Da Manhã’ (1950ブラジルdir.by Jonald) より
“Nunca Mais”(2:21)



バイーアの「海の若?大将」ドリヴァウ・カイミ。ブラジルの国民的歌手である。1914年生まれであるから、この映画出演時は36歳。若いおねえちゃんも濡らせるイイ声、イイ顔のオヤジである。

ブラジルの芸能界を見渡すと、結構な年齢のオヤジたちが若い衆から十分な敬意を払われているように思われる。まことに結構な風土である。敬意は儀礼的なものだけでなく、若いおねえさんがたからもチヤホヤされるという実質を伴っているようで、まことにもって羨ましい風土というべきであろう。

2007-08-10

Marianne Faithfull 1966



「メイド・インUSA」 Made in U.S.A. (1966仏J.L.ゴダール)より
『涙あふれて』As Tears Go By (2:03)



美声時代のマリアンヌ・フェイスフル。ミック・ジャガーの恋人でもあった時代かな。ジャガー=リチャード作でストーンズのヒット曲でもあった『涙あふれて』をアカペラで歌う彼女は、ゴダール映画には珍しくイノセントな女性のイメージとして画面に定着されている。

ゴダールの好む女優の顔の系列というのが話題にのぼることがあるが、これについて明晰に述べた文章を知らない。アンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジーン・セバーグ、ミリアム・ルーセルと主演女優を並べていくことで何となく了解できてしまうテイストを分析したりするのは野暮だと皆が敬遠するからなのだろう。

「メイド・インUSA」で主演ではなかったフェイスフルは以降ゴダール映画ではお呼びがなかったわけだ(すなわちゴダールの好みの顔ではなかったのだ)が、世間的には「あの胸にもういちど」の主演によって官能的なレザー・スーツの女として記憶されることになった。

またストーンズはゴダールとは縁があったようで「ワン・プラス・ワン」(1969)でゴダールと組むわけだが、政治の季節にどっぷり入ったゴダールの異様な「政治寸劇」、ブライアン・ジョーンズのバンドからほとんど脱落している雰囲気などが作品全体を覆って重苦しい作品となってしまった。肯定的に語られるのは、ラストのクレーン自体を被写体としてしまった「クレーン撮影」のみ。完成した『悪魔を憐れむ歌』がかぶさるこのシーンのかっこよさ、カタルシスは相当なものだが、何がそんなによいのかを説明することは相当に困難である。

2007-08-06

The Beach Boys 1965 02


‘The Monkey's Uncle’(1965米ロバート・スティーヴンソン)より
タイトル曲。(2:09)



ビーチ・パーティー映画のヒロイン、アネットの非ビーチ・パーティー映画。おそらくイタリア系つながりでウォルト・ディズニーの秘蔵っ子だった彼女は、ミッキーマウス・クラブを皮切りにディズニー・プロダクション製作のTVや映画に出演する一方、ポップ・シンガーとしても売れっ子となり『パイナップル・プリンセス』をはじめヒット曲を連発した。

ビーチ・ボーイズがゲストで呼ばれた経緯はよく知らないが、芸能界的な事情があるのだろう。珍しくオリジナル曲ではなく、ディズニーの座付き作家シャーマン兄弟の曲を歌っているのだが、なかなかビーチボーイズっぽい曲調でシャーマン兄弟の職人っぷりが楽しめる佳曲だと思う。

2007-08-05

The Beach Boys 1965 01

‘The Girls On The Beach’ (1965 米 ウイリアム・N・ウイットニー)より
“The Girls On The Beach” (3:18)


‘The Girls On The Beach’ (1965 米 ウイリアム・N・ウイットニー)より
“The Lonely Sea” (2:25)


‘The Girls On The Beach’ (1965 米 ウイリアム・N・ウイットニー)より
“Little Honda” (1:51)




「夏だ。海だ。サーフィンだ」というアメリカ型消費文化の同伴「バンド」から、世紀の傑作アルバム「ペット・サウンズ」や幻のアルバム「スマイル」を生み出した文化英雄へ。ビーチ・ボーイズへの評価は収まるところに収まったかに見えて、実はいまだにちょっとズレているのではないか。

ロックの革新性は今となっては「演奏(および楽曲)の自前性」にしかないと乱暴に言い切ってしまっても大きな間違いではないと思う。それに照らすと、レコード上での自前の演奏がデビュー直後からなくなっていったビーチ・ボーイズは、少なからぬアメリカのミッド・シクスティーズの「バンド」と同様に、ロック・バンドではなく「ポップ・グループ」なのだということになる。

ところが「ポップ」のフィールドにおいては、楽曲・編曲・プロデュースといったクリエイティヴな分野にはすべて専門スタッフがいて、メンバーは楽曲提供の一部にしかかかわらせてもらえないのが通例である。われらがビーチ・ボーイズ(というよりもブライアン・ウイルソン)はこれら専門職能をすべて一手に独占し、成長するにつれて楽曲の描く世界観から刻まれる音像までをトータルに引き受ける「作家性」を強く打ち出したのである。ビートルズでさえここまでの権限が与えられなかったことを考えると、驚くべきことである。

この映画で歌われた3曲は「サーフィン=ホット・ロッド」を主な題材とする時代のビーチ・ボーイズだが、「ペット・サウンズ」「スマイル」期の作品と比べても何ら遜色のない佳曲たちである。映画のテーマ曲でもある「ガールズ・オン・ザ・ビーチ」は彼らのかつてのヒット曲「サーファー・ガール」の二番煎じのような曲であるが、その音像は確実に進歩のあとが見られ、今でもこちらの方が好きだったりする。ちなみに「サーファー・ガール」の冒頭のメロは「星に願いを」をひねったものだとの、ブライアンの解説を読むまでまったく気づかなかったものだが、さらにひねった「ガールズ・オン・ザ・ビーチ」には「原曲」の痕跡がまったくと言っていいほどない。

2007-08-04

美空ひばり・フランキー堺 Hibari Misora with Franky Sakai 1954

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「七変化狸御殿」 Shichi-henge Tanuki Goten (1954 松竹 大曾根辰夫)より
曲目不明(3:41)


美空ひばりがわからない。人は彼女を天才だという。たしかに歌はうまいのだろうと思う。そりゃ好きな曲だって少しはある。『リンゴ追分』『ロカビリー剣法』たしかに結構な曲である。

「天才は作品の質だけでなく、その量をもっても他を凌駕していなければならない」という論法をもってすれば、美空ひばりの「量」は文句なしだと思うけど、その「質」には大いに疑問ありだ。「たとえその歌詞が電話帳を読み上げたものだとしても人を感動させうる」と評されたビリー・ホリデイに比べるのは酷かもしれないが、ひばりさんは楽曲そのものが駄目なときに歌唱だけで人を感動させるだけのものを残念ながら持っていないと思う。

そういうわけでこの映画「七変化狸御殿」での彼女の歌はつまらないと思う。ドラマー・フランキーの能力の片鱗を見るべきクリップなのだろう。美空ひばり研究はもう少し続くと思います。期待しないで待っててね。

2007-08-02

エノケン・二村定一 Eno-Ken with Teiichi Futamura 1936


「續千万長者」 (1936 PCL 山本嘉次郎)より
『セントルイス・ブルース~タップ~二重唱』 (8:07)



顔の黒塗りは「ジャズ・シンガー」(1927米)に由来するのだろうか。ワーナー・ブラザースが送り出した世界初のトーキー映画である。主演のアル・ジョルソンについては後日是非とりあげたいものだが、映像があるかなあ。

お話かわって「日本のジャズ・シンガー」№1のエノケンである。最後の二重唱における台詞ともラップともつかない融通無碍な歌い方は軽く時代を超えていると思う。それからエノケンと直接関係ないけど『セントルイス・ブルース』が途中でオン・クラーべなラテン・リズムになるところも面白い。それにしても女性ダンサーや女装したエノケンまで顔の黒塗りをすることはなかったんじゃないかなあ。

映画「續千万長者」をPCL(東宝の前身)の作品録やエノケンのフィルモグラフィーの中で見かけないのだが、この映画について詳しく知っている方がいらしたら是非ご教示いただきたい。「續」があるからには「正」篇もあるんでしょうね。エノケンについても映像さえあればまたとりあげたいと思っています。

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この作品のデータについて、当ブログとリンクさせていただいている「笑うな危険!」の主宰者スージー・アラビア氏よりご教示いただきました。制作年を1938年から1936年に訂正し、監督・山本嘉次郎の名前を記すことができました。深謝いたします。また作品名は「続エノケンの千万長者」が正式名かもしれない旨ご教示いただきましたが、表記を含めて確認が取れ次第訂正いたすこととします。重ねて御礼申し上げます。

2007-08-01

Rita Hayworth 1947


「上海から来た女」 The Lady From Shanghai
(1947 米 オーソン・ウエルズ)より “Please Don't Kiss Me” (1:32)



女優さんの歌というと吹き替えが相場で、現にリタ・ヘイワースも「ギルダ」(1946)ではアニタ・エリスによって歌を吹き替えられているわけだが、もともとショー・ガールだった彼女は歌も歌うわけで「上海から来た女」が吹き替えであるかどうかはネットで調べてもはっきりとはわからなかった。

プロデューサーのハリー・コーンによって70分近く短縮されたにも関わらず、この作品は光輝いている。その光の幾分かはリタ・ヘイワースによるところなのだと思う。思えばヘイワースは「ギルダ」に代表されるような赤くうねる髪の悪女として人々に記憶されているのだが、「モノクロ画面に赤い髪が映えないこと」「一見して訳あり悪女の容姿は避けたいこと」を考えれば、不評であったというショートカットのプラチナブロンドは正解だし、それよりも何よりも十分に魅力的だと思うのだが。

コーンは作品を切り刻む一方、ヘイワースのクローズアップを増やす目的で “Please Don't Kiss Me” のシーンを追加撮影させたということなので、このシーンの素晴らしさゆえ彼を擁護してもいいのではないかと思う気持ちがチラと頭をかすめたりもするのだが、155分のオリジナル全長版を見られる日が永久に来ないであろうことを考えると、いや許してはならぬと思い直すのであった(ちょっと蓮實センセ風)。

Amos Milburn 1955

‘Rhythm and Blues Revue’ (1955 米 ジョゼフ・コーン&レオナード・リード)
より “Bad, Bad Whiskey” (3:29)



エイモス・ミルバーンといえば、1950年のヒット曲であるこの曲と「チキン・シャック・ブギー」(1948)が最も有名なレパートリー。とぼけたヴォーカルとブギー・ピアノが売り物だ。ブギ・ウギ・ピアニストの伝統に則り?、また自身の音域の関係からか、ほとんどすべての曲のキーがGなので、アルバムを通して聴くと少々あきるのがつらいところだ。

「バッド・バッド・ウイスキー」をはじめ“One Scotch, One Bourbon, One Beer,” “Let Me Go Home, Whiskey”などお酒をテーマにした曲が非常に多いのもこの人の特徴。最後のヒット曲が“Good, Good Whiskey”(1954)だというのも人を喰った話で、この無類の酒好きのせいかどうかはよく知らないが1980年に52の若さで亡くなっている。

「リズム・アンド・ブルース・レヴュー」には他にもルース・ブラウンやフェイ・アダムスなどが出演しているので後日紹介できればと思う。

The Yardbirds 1966


「欲望」 Blow-Up (1966 英・伊・米 ミケランジェロ・アントニオーニ)より
“The Train Kept A-Rollin'(aka Stroll On)” (4:02)



アントニオーニが7月30日亡くなった! 供養のヤードバーズである。享年94ということは、この映画制作時はすでに50の坂を越えていたのだ。若いなあ。翻って日本映画を思い起こすと、例えば今村昌平「赤い殺意」(1965)のバンドのシーンなんぞはお寒い限りである。

ヤードバーズに目を向けると、当時ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの2リード・ギター体制。強力である。ベックが叩き壊すギターはせこい日本製だといわれたものだが、今となってはむしろあのギターのほうが貴重だったりするかもしれない。

『トレイン・ケプト・ア・ローリング』のオリジネーターはTiny Bradshawだが、ヤードバーズは同曲のカヴァーで有名なJohnny Burnette Trioの別の曲“Honey Hush”のアレンジをパクったとおぼしい。ロカビリー・マニアとしても知られるベックらしい手の込んだやり口ではある。