ラベル FG: 歌謡映画 Kayo Movies/Hit Song Movies の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2008-10-02

和泉雅子 & 山内賢 Masako Izumi & Ken Yamauchi 1967

「東京ナイト」 Tokyo Nights (1967 日活 鍛冶昇)より
『東京ナイト』 Tokyo Nights (1:28)



2008-03-11

橋幸夫 Yukio Hashi 1967

「恋のメキシカンロック 恋と夢と冒険」 Koi no Mexican-Rock, Koi to Yume to Bouken (1967 松竹・桜井秀雄)より 『恋のメキシカンロック』 (2:20)


浅田美代子 Miyoko Asada 1974

「しあわせの一番星」 Shiawase no Ichiban-boshi (1974 松竹・山根成之)より抜粋 『しあわせの一番星』, 『赤い風船』 Akai Fusen (4:52)


2008-02-22

岡晴夫 Haruo Oka 1950

「憧れのハワイ航路」 (1950 新東宝・斎藤寅次郎)より
『憧れのハワイ航路』 (3:46)



2007-10-13

ピンキーとキラーズ Pinky & The Killers 1969

「恋の季節」(1969松竹・井上梅次)より
『恋の季節』(1:18)



岩谷時子作詞・いずみたく作曲の大ヒット曲。1968年から1969年にかけて創立まもないオリコンシングルチャート1位を佐川満男の『今は幸せかい』の1週をはさんで17週間占めるほどの大受けぶりだった。そんな忙しい彼らゆえ、主演映画とブチ上げても実質の主演は奈美悦子であった。

ところで、ソロ歌手だったピンキー(小指という意味だそうな)こと今陽子と組んだキラーズが、ボサノヴァ・グループだったということを初めて知った。登場人物がブラジルへ行ってしまう設定は、その関係だったのかな。

劇中でもう1曲、セカンド・シングルの『涙の季節』も歌っているのだが、だいぶ前にYouTubeから削除されたまま。このクリップもいつまでもつことやら。しかし、なぜ削除申請するかなあ。「ビジネス・チャンス」ととらえる先取性と太っ腹さがないのね。そんなこっちゃ誰も幸せになれないじゃないですか。

ピンキーとキラーズのフィルモグラフィ / Wikipedia
「恋の乙女川」(1969松竹, 市村泰一)1969.01.11
「花ひらく娘たち」(1969日活, 斎藤武市)1969.01.11
「恋の季節」(1969松竹, 井上梅次)1969.02.21
「涙の季節」(1969日活, 丹野雄二)1969.03.12
「喜劇 婚前旅行」(1969松竹, 瀬川昌治)1969.04.26
「夕陽に向かう」(1969松竹, 田中康義)1969.10.15
「喜劇 よさこい旅行」(1969松竹, 瀬川昌治)1969.11.15
「チンチン55号ぶっ飛ばせ!出発進行」(1969松竹, 野村芳太郎)1969.12.31
「喜劇 満願旅行」(1970松竹, 瀬川昌治)1970.04.25
「恋の大冒険」(1970東宝, 羽仁進)1970.07.18

●井上梅次のフィルモグラフィ

2007-08-21

西田佐知子 Sachiko Nishida 1963

「アカシアの雨がやむとき」(1963日活・吉村廉)より
『アカシアの雨がやむとき』(2:22)



1960年に発売され、1962年に大ヒットし、1963年に歌謡映画化されるという現在では考えられないユルーいペースで世に広まった歌。60年安保のときにデモに参加した学生たちが歌ったとかいう伝説が流布され、安保後の「挫折」ムードとこの歌の持つペシミスティックな雰囲気がシンクロして、いわゆる「時代と寝た」と評される歌の典型的な例となった。

伝説とは切り離しても「イイ歌」、「イイ歌唱」だと思う。かつて平岡正明が山口百恵を論じたときに「西田佐知子~いしだあゆみ~山口百恵」というノンビブラート唱法の女性歌手の系譜を紡ぎ出したのを思い出した。この人はいわゆる「イイ声」ではないのだけれど独特の喚起力があって、それこそ歌に憑依する巫女さん体質が強烈にあるのだと思う。

しかしながら、この歌は西田の最上の作品ではない。何といっても『くれないホテル』(筒美京平作曲)が彼女の否戦後歌謡曲の最高の到達点だと思う。