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2008-10-27

白鳥みづえ Mizue Shiratori 1954

「桜まつり歌合戦」 Sakura Matsuri Uta-Gassen (1954 大映,
構成:西村元男)より 『金・銀の歌』 Kin-Gin no Uta (2:47)



2008-10-15

美空ひばり・山村聡 Hibari Misora with So Yamamura 1952

「リンゴ園の少女」 Ringo-en no Shojo (1952 新芸術プロ
=松竹 島耕二)より   『リンゴ追分』 (1:43)


「リンゴ園の少女」 Ringo-en no Shojo (1952 新芸術プロ
=松竹 島耕二)より『津軽のふるさと~不明~リンゴ追分』 (3:47)



2008-10-02

和泉雅子 & 山内賢 Masako Izumi & Ken Yamauchi 1967

「東京ナイト」 Tokyo Nights (1967 日活 鍛冶昇)より
『東京ナイト』 Tokyo Nights (1:28)



2008-09-20

沢知美 (ex中野味和子) Tomomi Sawa 1968

「100発100中・黄金の眼」 Hyappatsu Hyakuchu / Golden Eye
(1968 東宝 福田純)より 『モッカラ・ゴーゴー』 Moccara Go-Go (1:48)



2008-03-11

橋幸夫 Yukio Hashi 1967

「恋のメキシカンロック 恋と夢と冒険」 Koi no Mexican-Rock, Koi to Yume to Bouken (1967 松竹・桜井秀雄)より 『恋のメキシカンロック』 (2:20)


浅田美代子 Miyoko Asada 1974

「しあわせの一番星」 Shiawase no Ichiban-boshi (1974 松竹・山根成之)より抜粋 『しあわせの一番星』, 『赤い風船』 Akai Fusen (4:52)


浅見比呂志 Hiroshi Asami 1960

「女体渦巻島」 Nyotai Uzumaki Jima (1960 新東宝 石井輝男)より
『悪魔のキッス』 Akuma no Kiss (3:35)



三浦恭子 Kyoko Miura 1968

「コント55号・世紀の大弱点」 Konto55go / Seiki no Dai-Jakuten
(1968 東宝 和田嘉訓)より 『女は生きるために泣く』 Onna wa Ikiru Tame ni Naku (3:05)



2008-03-05

由美かおる Kaoru Yumi 1967

「レッツゴー! 高校レモン娘」 Let's Go! Koko Lemon Musume
(1967 松竹 市村泰一)より 『レッツゴー! 高校レモン娘』 (2:12)



ピンキーとキラーズ Pinky and The Killers 1970

「恋の大冒険」 Koi no Daiboken (1970 オールスタッフプロ・テアトルプロ
=東宝 羽仁進)より『素敵な恋』, 『集団就職』, 『大都会のブルース』 (6:58)

「恋の大冒険」 Koi no Daiboken (1970 オールスタッフプロ・テアトルプロ
=東宝 羽仁進)より『ピンキーどこへ行く』, 『素敵な恋』 (6:53)



2008-02-29

李香蘭 Kouran Ri/Xianglan Li 02(1939)

「白蘭の歌 前篇」 (1939 東宝=満映・渡辺邦男) より抜粋
『いとしあの星』, 『何日君再来』, 『荒城の月』 (8:21)



2008-02-22

岡晴夫 Haruo Oka 1950

「憧れのハワイ航路」 (1950 新東宝・斎藤寅次郎)より
『憧れのハワイ航路』 (3:46)



2008-02-21

美空ひばり・川田晴久 Hibari Misora with Haruhisa Kawada 1949

「びっくり五人男(「新東京五人男」より改題、DVD題「美空ひばりの ラッキー百万円娘」)」 (1949吉本=新東宝・東宝、斎藤寅次郎)より 
『憧れのハワイ航路』 (0:37)



2007-10-13

ピンキーとキラーズ Pinky & The Killers 1969

「恋の季節」(1969松竹・井上梅次)より
『恋の季節』(1:18)



岩谷時子作詞・いずみたく作曲の大ヒット曲。1968年から1969年にかけて創立まもないオリコンシングルチャート1位を佐川満男の『今は幸せかい』の1週をはさんで17週間占めるほどの大受けぶりだった。そんな忙しい彼らゆえ、主演映画とブチ上げても実質の主演は奈美悦子であった。

ところで、ソロ歌手だったピンキー(小指という意味だそうな)こと今陽子と組んだキラーズが、ボサノヴァ・グループだったということを初めて知った。登場人物がブラジルへ行ってしまう設定は、その関係だったのかな。

劇中でもう1曲、セカンド・シングルの『涙の季節』も歌っているのだが、だいぶ前にYouTubeから削除されたまま。このクリップもいつまでもつことやら。しかし、なぜ削除申請するかなあ。「ビジネス・チャンス」ととらえる先取性と太っ腹さがないのね。そんなこっちゃ誰も幸せになれないじゃないですか。

ピンキーとキラーズのフィルモグラフィ / Wikipedia
「恋の乙女川」(1969松竹, 市村泰一)1969.01.11
「花ひらく娘たち」(1969日活, 斎藤武市)1969.01.11
「恋の季節」(1969松竹, 井上梅次)1969.02.21
「涙の季節」(1969日活, 丹野雄二)1969.03.12
「喜劇 婚前旅行」(1969松竹, 瀬川昌治)1969.04.26
「夕陽に向かう」(1969松竹, 田中康義)1969.10.15
「喜劇 よさこい旅行」(1969松竹, 瀬川昌治)1969.11.15
「チンチン55号ぶっ飛ばせ!出発進行」(1969松竹, 野村芳太郎)1969.12.31
「喜劇 満願旅行」(1970松竹, 瀬川昌治)1970.04.25
「恋の大冒険」(1970東宝, 羽仁進)1970.07.18

●井上梅次のフィルモグラフィ

2007-10-12

服部富子 Tomiko Hattori 1939

「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝・小国英雄)より
『満州娘』(1:24)



マキノ正博や黒沢明の脚本家として名高い小国英雄の数少ない監督作品の1本。未見なのだが、古川ロッパが「昭和日記」の中で失敗作だと自らケナしまくっている作品とのこと。ところが当時のトップ歌手がステージで次々と歌うシーンが今となっては超貴重。かつてヴィデオ化されたこともあるらしい。

服部富子は服部良一の妹でテイチク専属の歌手。同じ1939年にマキノ正博の大傑作オペレッタ映画「鴛鴦歌合戦」にも出演している。石松秋二(『九段の母』など)作詞・鈴木哲夫作曲で1938年に流行した『満州娘』。「赤線地帯」(1956大映・溝口健二)で三益愛子が発狂したとき歌っていたのがこの歌だった。国策迎合の匂いがプンプンする歌詞だが、曲自体はエキゾチックで魅力的だと思う。

服部富子のフィルモグラフィ
「弥次喜多道中記」(1938日活京都, マキノ正博)1938.12.01
「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝, 小国英雄)1939.10.10
「鴛鴦歌合戦」(1939日活京都, マキノ正博)1939.12.14
「弥次喜多 名君初上り」(1940日活京都, マキノ正博)1940.01.13
「支那の夜 前篇」(1940東宝=中華電影公司, 伏水修)1940.06.05
「支那の夜 後篇」(1940東宝=中華電影公司, 伏水修)1940.06.15
「孫悟空 前篇」(1940東宝, 山本嘉次郎)1940.11.06
「孫悟空 後篇」(1940東宝, 山本嘉次郎)1940.11.06
「七つの顔」(1946大映京都, 松田定次)1946.12.31
「桜御殿」(1948マキノ映画, マキノ真三)1948.07.01
「サザエさん 前後篇」(1948マキノ=松竹, 荒井良平)1948.09.28
「三十三の足跡」(1948大映京都, 松田定次)1948.12.28
「果しなき情熱」(1949新世紀プロ=新東宝=東宝, 市川崑)1949.09.27
「サザエさん のど自慢歌合戦」(1948東洋スタジオ=大映, 荒井良平)1950.07.29


小国英雄の監督作品(リンク先は原作・脚本を含むフィルモグラフィー)
「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝, 小国英雄)1939.10.10
「金語楼の親爺三重奏 」(1939東宝, 小国英雄)1939.12.13

2007-10-05

城よしみ Yoshimi Jo 1969

「薔薇の葬列」Funeral Parade of Roses (1969 ATG 松本俊夫)より
『ベッドで煙草を吸わないで』(1:39)



スタンリー・キューブリックのフェイヴァリット作なんだそうだ。前エントリーの「時計じかけのオレンジ」(1971)には随所にその影響があるとのことだが、いつも映画をボーッとしか観ていないせいで、主人公のつけ睫毛ぐらいしか似ているところを見つけることができない。

松本俊夫といえば、実験映画の大御所であるとともに、映画界きっての理論家で「映像の発見」「映像の探求」「映画の変革」などの著書もある。どの本の記述かは忘れたが、映像の価値(というか映像作家の志向性といったほうが適切かな)を「モンタージュ」と「フォトジェニー」の2要素に行き着くということを言っていて、読んだ当時はなるほどと思ったものだが、いまは「音」「台詞」「音楽」を除外した論で一定の有効性しかない、と音偏重派の人間としては反論したいところだ。

その実験映画の「俊英」が手がけた初の劇映画が本作。ピーターこと池畑慎之介のデビュー作でもある。キワモノ的なゲイボーイの世界に「オイディプス神話(エディプス・コンプレックスはここからとられた概念。ピーター演ずるエディの役名もこれに由来する)」を持ち込んだり、ボードレールジョナス・メカスを引用するなどペダンティックなつくりの映画だ。また時制が入り組んだ構成は、アンゲロプロスジャームッシュ、さらにはタランティーノの映画を観てしまった現代の観客には普通のことだが、本作封切当時には新鮮だっただろうと想像する。

『ベッドで煙草を吸わないで』は、ここ数年来関心を持っている平岡精二
の曲だと思い込んでいた。岩谷時子作詞、いずみたく作曲、沢たまき歌で1966年に出た曲だったのね。どうしても旗照夫の『あいつ』やペギー葉山の『爪』と世界がかぶる曲なのだが。

あ、そうそうピーターの左の男は蜷川幸雄です。自分の芝居にはダメ出ししないんですね。

2007-10-01

松原智恵子 Chieko Matsubara 1966

「東京流れ者」Tokyo Drifter (1966日活・鈴木清順)より
『ブルーナイト・イン・アカサカ』(6:59)



松原智恵子が本当に歌っているはずもなく、鹿乃侑子という人が吹き替えしているわけだが、声質のイメージが松原と重なるだけが取りえといったらいいすぎか? 魅力のない歌声である。

この歌をフルコーラス歌うシーンや、渡哲也が『東京流れ者』を歌うシーン、それに何と二谷英明の『男のエレジー』が流れるシーン(たしか歌うシーンはなかったと思う)もあるのだが、ネット上にあるのはこれだけなのでご勘弁を。作詞:北原たけし、作曲:楠井景久、編曲:鏑木創(本作の音楽担当)。

それにしても木村威夫らしいセット(というよりもこのシーンは単にデコレーションか)と清順さんらしい色彩感覚だ。オブジェの色が何度もかわるところ、要注目です。昔オールナイトで観たプリントはボロボロで、色は褪せ至るところにコマとびがあるという代物だった。ニュー・プリントもしくはデジタル・リマスター版なのかなコレ。キレイだなあ。DVDが欲しくなりました。

「流れ者には女はいらネエんだ」「女と一緒じゃ歩けネエんだ」クサーい台詞にもシビレます。ちなみに原作・脚本は、アノ川内康範先生です。

2007-09-20

江利チエミ Chiemi Eri 1957

「青春航路」(1957宝塚=東宝・瑞穂春海)より
『スワニー』Swanee (2:17)

「青春航路」(1957宝塚=東宝・瑞穂春海)より
『シシカバブー(串カツ・ソング)』(2:42)



宝塚映画(1951~1968年に映画制作をした東宝の子会社)初のカラー(イーストマン)&シネスコ(東宝スコープ)映画(1957年12月封切)。ちなみに東宝本体では同年7月封切の「大当たり三色娘」(杉江敏男、元祖三人娘シリーズの3作目)がカラー&シネスコの嚆矢。

本作にはゲストで雪村いづみも出演していて『黒田節マンボ』を江利とデュエットしている。ほかに江利が中野ブラザースと下駄タップを見せる『おてもやん』『祇園小唄』などもあるのだが、割愛した。興味のある方はリンクをクリックしてご覧下さい。

『スワニー』は、ジョージ・ガーシュインの最初の大ヒット曲で、前エントリーのアル・ジョルソンによって有名になった曲。ブロードウエイ・ミュージカル「ショウボート」風のセットが印象的。江利の歌いっぷりは無理がなくてスッと聴ける。

『シシカバブー(串カツ・ソング)』は、調べたかぎりではRalph Marterie(ラルフ・マーテリー)というビッグバンド・リーダー兼トランペッターが放った1957年5月のインスト・ヒットのカヴァーかと思う。ちなみに江利はこの曲を同年9月にSPでリリースしている。編曲は越路吹雪の夫、内藤法美。演奏は見砂直照と東京キューバンボーイズである。1954年の『ウスクダラ』(『シシカバブー』の間奏にメロディが登場)、1955年の『イスタンブール・マンボ』に続く「エセ中近東ソング」とでもいうべき路線の1曲。ちなみに『ウスクダラ』はアーサー・キットがオリジナルだが、『イスタンブール・マンボ』のオリジナルは誰なんだろう? ムーンライダース・ファンの方教えて下さい。

ムーンライダースと言えば、彼らがアルバム「イスタンブール・マンボ」の前に江利チエミとアルバムを作るプロジェクトが途中で頓挫して未完成に終わり(前出3曲を含む全曲お蔵入り)、それにインスパイアされてアルバム中の『イスタンブール・マンボ』、『ウスクダラ』を発表したという話がある。詳しくは当ブログもブックマークしている「江利チエミファンのひとりごと」を見て下さい。

とにかく『シシカバブー(串カツ・ソング)』はストレンジでイイ曲です。

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2007年9月27日;『イスタンブール・マンボ』のオリジナルが判明。1953年の“Istanbull( Not Constantinople ) ”がその曲。アーティストはフォー・ラッズ。フォー・フレッシュメン・フォロワーのコーラス・グループ。中近東風のメロディをマンボにのせたのはチエミ・オリジナルと言えそうだ。

2007-09-10

李香蘭 Kouran Ri/Xianglan Li 01(1940)

「支那の夜 前篇・後篇」(1940東宝=中華電影公司・伏水修)より
『蘇州夜曲』その1(3:46)


「支那の夜 前篇・後篇」(1940東宝=中華電影公司・伏水修)より『蘇州夜曲』その2(2:30)

「支那の夜 前篇・後篇」(1940東宝=中華電影公司・伏水修)より『シナの夜』(7:40)


満映の関連会社とされる日中合弁の中華電影公司と東宝が製作した「国策映画」。長谷川一夫・李香蘭主演の「大陸3部作」の1本で、1作目「白蘭の歌」(1939渡辺邦男)、3作目「熱砂の誓ひ」(1940渡辺邦男)の間にはさまれた2作目にあたる。

「李香蘭=山口淑子」のデビューに当たっては満映2代目理事長の甘粕正彦の意図が大きく働いていたとも伝えられている。中国娘と日本の船員の恋愛ドラマはたしかに「五族協和」を意図したプロットなのだろうと思う。劇中李香蘭が長谷川一夫に平手打ちされながらも惹かれていくという描写が、中国国内で国辱的と受け取られた、あるいは「支那の夜」は中国国内では「上海之夜」として封切られたとも聞く。そんな経緯から戦後は「蘇州夜曲」と改題された。余談だが「支那」が蔑称であるなら、英語のChinaなどにも同様にクレームをつけてほしいものだと思うこともあるが、これ以上深入りしないことにする。

『蘇州夜曲』、『シナの夜』は映画では李香蘭が歌い、レコードでは渡辺はま子が歌った。もともとこの映画は渡辺はま子の『シナの夜』の大ヒット(1938年)にあやかって製作された経緯があり、一種の「歌謡映画」でもある。『蘇州夜曲』は西条八十作詞・服部良一作曲の日本歌謡史上屈指の傑作。『シナの夜』は西条八十作詞・竹岡信幸作曲の有名曲(現在では替え歌の春歌のほうが有名か?)。いずれも中国的な旋法を活かしたエキゾチックなメロディを持った曲だ。劇中にもう1曲『想兄譜』(西条=竹岡)があるのだが、今回は映像が見つからず紹介できなかった。

2007-08-28

いしだあゆみ Ayumi Ishida 1969

「クレージーの大爆発」(1969東宝・古沢憲吾)より
『恋はそよ風』(1:48)



橋本淳作詞、筒美京平作曲の佳曲。1969年4月15日発売のシングル曲(コロムビア)で『涙の中を歩いてる』のB面だった。個人的にはA面曲よりも好きかもしれない。

しかし歌の合間の小芝居が邪魔だなあ。実際には渡辺プロの抱き合わせ戦略で、クレージー映画に強引に出演させていたのだろうが。一般的に言って、日本映画では1曲の歌を芝居の進行を止めてまるごと見せるということをほとんどしない。芝居を同時進行するにしても、もっとスマートに処理して欲しいものだ。

本末転倒だと言われるかもしれないが、この垢抜けなさが昔も今も日本映画の大きな欠陥だと思っている。もっとインド映画やゴダール映画を見習って欲しいものである。