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2008-10-29

Ginnie Powell with Boyd Raeburn Orch. 1947

‘Columbia Thrills of Music: Boyd Raeburn and His Orchestra’
series2 vol.1; production no. 6952 (1947 米 ハリー・フォスター)より
『セントルイス・ブルース』 St. Louis Blues (2:23)



2008-10-18

Helen Humes with Dizzy Gillespie Orch. 1946


‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Hey Baba Leba” (2:42)



‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Crazy About A Man” (2:29)



2008-03-12

Helen Forrest, Tony Pastor and Artie Shaw 1939

‘Artie Shaw and His Orchestra’ (1939 米 ロイ・マック)
曲目: “Nightmare,” “Begin the Beguine,” “Let's Stop the Clock,”
“Non-Stop Flight,” “Pross Tchai” (9:58)



2008-02-29

Noble Sissle and Eubie Blake 1923

‘Noble Sissle and Eubie Blake’ (1923 米 リー・デ・フォレスト)
曲目: “Affectionate Dan” (1:56)



2008-02-28

Louis Armstrong 1932

‘A Rhapsody in Black and Blue’ (1932 米 オーブリー・スコット)
曲目: “(I'll Be Glad When You're Dead) You Rascal You,” “Shine,”

“Chinatown, My Chinatown” (10:03)


‘I'll Be Glad When You're Dead You Rascal You’
(1932 米 デイヴフライシャー)(7:09)



2008-02-24

Don Redman and His Orchestra 1933~1934

‘I Heard’ (1933 米 デイヴ・フライシャー)
曲目: “I Know A Girl Named Betty Boop,” “How'm I Doin'?,”
“I Heard” (7:21)


‘Don Redman & His Orchestra’ (1934 米 ジョセフ・ヘナベリー)より
“Nagasaki,” “Why Should I Be Tall?” (4:06)




2008-02-22

Billie Holiday with Duke Ellington 1935

‘Symphony in Black: A Rhapsody of Negro Life’
(1935 米 フレッド・ウォラー) (9:35)



2008-02-05

桜田淳子 Junko Sakurada 1979

「病院坂の首縊りの家」(1979東宝・市川崑)より
『ペーパームーン』 It's Only A Paper Moon (1:42)



2008-01-16

The Three Peppers 1943

「西部を駆ける恋」 A Lady Takes a Chance
(1943米ウィリアム・A・サイター)より
“Swinging At The Cotton Club” (1:15)



このバンド、ナット・コール・トリオのお手本になったというのは本当だろうか? 30年代半ばの結成で結構人気もあったというから、時系列的にはあり得る話だ。実は写真の仏クラシック盤を入手しそびれているため、このバンドの全貌がわからない。後年のゴーサム・レーベルのオムニバスしか所持していないのだ。そして、この形態のピアノ・トリオ(pf, eg, ab)の源流はどこから始まっているのかという疑問もわいてきた。アート・テイタム・トリオももう少しあとだしなあ。ご存知の方はご教示下さい。

スリー・ペッパーズはオリヴァー"トイ"ウイルソンpf, ボブ・ベルeg, ウォルター・ウイリアムスabというオリジナル・メンバーで40年代いっぱいをすごし、50年前後ゴーサムと契約したあたりでピアノがロイ・ブランカーという人に替わった。以前エントリーしたキャッツ&フィドルに比べると時代の違いもあってかよりジャズ寄りの音楽性を持ったバンドという印象だ。ナット・コール・トリオのようなテクニシャンではないが、トリオのアンサンブルやヴォーカル・ハーモニーをより前面に出していて、バンドとしての一体感が強いグループだ。

1943年RKO製作のこの映画出演時はオリジナル・メンバー。ジョン・ウェインとジーン・アーサーが主演の異色西部劇で、ジーン・アーサーは本作でオスカー・ノミネートされたということだ。

2007-10-03

Bing Crosby with Eddie Lang 1932



Uploaded by sirarnold
「ラヂオは笑ふ」The Big Broadcast (1932米フランク・タトル)より
“Dinah,” “Please”(3:22)



ビング・クロスビーは意外に黒っぽい。クロスビーは、ジャズ/ポピュラー・ミュージック史では一般的に「クルーナー」と分類されてきた。それ自体は画期的なことだが、単なるバラーディアーとみなされがちなのも事実。「ブルースの誕生」(1941)などを観てもわかるように、ジャズ感覚を相当濃厚に持った人だった。ちなみに「ブルースの誕生」を観て若きナベサダさんは、ジャズ・ミュージシャンを志したと聞く。本作の“Dinah”のスキャットの堂々たるスイング感はどうですか。

このクリップが貴重なのは、戦前の名ギタリスト、エディー・ラングの数少ない映像のひとつであるからだ。ビックス・バイダーベックフランキー・トランバウアーたちとともに伝説のジーン・ゴールドケット楽団や時代の寵児だったポール・ホワイトマン楽団で共演し、そこで同僚になったクロスビーが売り出すときのパートナー(のひとり)になるはずだった。ところが本作の翌年に手術中の出血がもとで死んでしまう。ラングの吹込みを聴くと、その音楽性の多様さに驚かされる。単にジャズ・ギターのパイオニアに留まるものではなかっただけに、その死が非常に惜しまれてならない。

2007-09-19

Anita O'day 1958

「真夏の夜のジャズ」Jazz On A Summer's Day
(1959米バート・スターン)より
“Sweet Georgia Brown,” “Tea For Two”(8:21)



「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」とか申しますな。そのココロはと申しますってえと、ジャズてえもんは演ってナンボのモンで、アプリオリってんですか、演る前から「次の曲は名曲でございますから、ひとつご祝儀を」なんてえのが通用しねえ。どんな名曲であろうと演者の遣り口次第(しでえ)だとこういう意味らしいですな。

ここまでがマクラって奴でこっから本題に入りやすが、疲れたので普通にやります。

そういう訳でアニタ・オデイの「真夏の夜のジャズ」(@1958 Newport Jazz Festival )での歌唱は一世一代の名演だと思います。村上春樹が「ポートレイト・イン・ジャズ」(新潮文庫)の中でうまいこと書いていたのですが、今手元にないのでうろ覚えで記憶の中から引用を試みてみます。「午後の明るい光の中で歌うという【ジャズ・ヴォーカル】にとってこの上なく不利な条件のもとで、観客の耳目を惹きつけることに成功した。あるいはねじ伏せたと言ってもいい」というようなニュアンスだったと記憶します。

この映画に限らず観客のショットは逐一ステージと対応している訳ではありません。ひどいときは全く関係のないショットをつなぐ場合もあります。それに加えてアニタの顔のアップからバスト・ショットの多用は観客(映画の)をミスリードする可能性が高いと思います。あの顔は相当プラス・ポイントになったと思います。

以上のことを割り引いても、名唱だと思います。曲のアレンジというか構成に誰が責任を負ったのかは知りませんが、通常軽快なアップテンポで少々能天気に演奏される『スイート・ジョージ・ブラウン』をスローでルースなムードから始めて、一転気合注入したビートにのせてブルージーに決める、あるいは高速の『二人でお茶を』のノリの良さ、4バース・チェンジの決まり具合。すべてが上手くいったステージなのでしょう。うーん、シビレル。

2007-08-30

Virginia Mayo 1948



Uploaded by audreywop


「ヒット・パレード」A Song Is Born (1948米ハワード・ホークス)より
“Daddy-O” (3:08)


「教授と美女」(1941)のリメイク。ハワード・ホークスの映画はどれを観ても面白いのだけれど、残念ながら本作は最も印象の薄い作品だ。その原因の大部分は主役の2人、ダニー・ケイとヴァージニア・メイヨの健康的というか健全なイメージのせいかもしれない。クーパー&スタンウィックのコンビに比べてエロスが足りないと思う。

主役2人の弱さを補うためなのか、ゲスト・ミュージシャンは豪華だ。このクリップには出てこないが、ルイ・アームストロング、ライオネル・ハンプトン、ベニー・グッドマンらのジャズ・ジャイアンツからバック&バブルス、ゴールデン・ゲイト・カルテットなどの興味深い顔ぶれが勢揃い。音楽マニアでもあったというホークスの面目躍如のキャスティングだ。

『ダディ・オー』はジーン・デポール作曲のわりと知られた曲で、ダイナ・ショアをはじめ多数の歌手が歌っている。メイヨの吹き替えをやっているのはジェリ・サリヴァンという歌手で、この人は『ラムとコカコーラ』の作曲者でもあるらしい。伴奏楽団がオリジナル作のビッグ・バンドからピアノ・トリオ(キング・コール・トリオと同じく、ピアノ+ギター+ベースの編成。Page Cavanaugh trio)になったのも音楽界の趨勢を反映していて感慨深いものがある。

2007-08-28

Barbara Stanwyck 1941

「教授と美女」Ball of Fire (1941米ハワード・ホークス)より
『ドラム・ブギ』 Drum Boogie (5:16)



『監督ハワード・ホークス「映画」を語る』(1989青土社刊)の中でホークスが『白雪姫と七人の小人』をもとにプロットを組み立てた旨の発言をしていたと記憶する。しかしながらバーバラ・スタンウィックはゲーリー・クーパーを誘惑する白雪姫である。ナイトクラブで歌われる『ドラム・ブギ』は伴奏するジーン・クルーパ楽団の当たり曲。伴奏と書いたが、この当時の音楽シーンの主役はビッグ・バンドで、歌手はあくまで楽団専属の被雇用者の立場であった。ちなみにスタンウィックの歌は、ベニー・グッドマンのカーネギー・コンサートなどで知られるマーサ・ティルトンの吹き替え。

スタンウィックはビリー・ワイルダーの「深夜の告白」(1944)が有名だが、何といってもプレストン・スタージェスの「レディ・イヴ」(1941)が最高のハマリ役で、ホークスの「赤ちゃん教育」(1938)やレオ・マッケリーの「新婚道中記」(1937)と並ぶスクリューボール・コメディの代表作だと思う。

2007-08-21

Louis Prima 1944

Short film‘The Band Parade’(1944?米)
“That Old Black Magic,” “Harmonica Quintette,” “Porgy,”
“Get On Board Little Chillen,” “Sing Sing Sing” (total=8:20)



このフィルムの来歴がわからない。IMDBを見てもそれらしいのがフィルモグラフィ(TV出演もリストアップされている)に見当たらない。いくつかのサイトに出ていた情報をもとに1944年制作としたが、不明なところが多くて困っております。ご存知の方はご教示下さい。

「ポーギー」を歌う女性歌手は40年代後半からコンビを組むキーリー・スミスではなく、リリー・アン・キャロルという人のようです。それから2曲目のハーモニカ・クインテットは明らかにルイ・プリマ・オーケストラとは無関係でゲスト出演だと思うのですが、誰だか分かりません。これもご存知の方がいらしたら教えて下さい。

最後の『シング・シング・シング』はベニー・グッドマンで知られた曲だが、プリマ作で一番有名な曲かもしれない。このフィルムには登場しないが、プリマのレパートリーでほかに有名なのはデヴィッド・リー・ロスがカヴァーして大ヒットした「ジャスト・ア・ジゴロ」だろう。この曲はプリマ作ではなくて、正確には「ジャスト・ア・ジゴロ~アイ・エイント・ガット・ノーバディ」のメドレーなのだが、まるで最初からこういう曲だったようなナチュラルで粋なメドレーである。とにかくルイ・プリマは粋な才人だと思います。

2007-08-14

Cab Calloway & Nicholas Bros. 1943


「ストーミー・ウェザー」Stormy Weather(1943米アンドリュー・
ストーン)より『ジャンピン・ジャイヴ』Jumpin' Jive (4:47)



「ストーミー・ウェザー」のハイライト・シーン。キャブの狂乱振りもよいけれど、主役はやはりニコラス兄弟。相撲取りの股割りを思わせる開脚にアクロバティックな動き。圧巻です。1980年ごろ原宿の某店ではじめて観たとき、すぐ近くの席に阿佐田哲也こと色川武大氏も来ていたのだが畏れ多くて話しかけることもできなかった。氏との唯一の接近遭遇であった。

その後ニコラス兄弟の映像に数々接すれども、この映画を超えるものには巡り合っていない。幼い頃の兄弟の映像を観て、越後獅子の世界だなあと感じ入ったこともあったけれども。

「ストーミー・ウェザー」のリナ・ホーン、ミスター・ボージャングルス=ビル・ロビンソン、トランプ・バンド=ジョー・キャロルについては後日改めて。

2007-08-13

Fats Waller 1943


「ストーミー・ウェザー」Stormy Weather(1943米アンドリュー・
ストーン)より 『浮気はやめた』 Ain't Misbehavin' (2:43)



ファッツ・ウォーラーの代表作のひとつ。この曲は他にも数種類のフィルムがあり、おねえさんがたをはべらせたそちらの方がウォーラーらしいとも言える。しかしながらこの映画での共演メンバーはなかなか豪華である。トロンボーンのアルトン・ムーア、クラリネットとテナーにジーン・ポーター、ベースにスラム・スチュワート、ドラムスにズッティ・シングルトン、そしてギターにアーヴィング・アシュビー。ギターだけはおなじみのアル・ケイシーの方がよかったかもしれない。いずれにしても素晴らしい演奏と歌であることにかわりはない。

この映画「ストーミー・ウェザー」は同年制作の「キャビン・イン・ザ・スカイ」(ヴィンセント・ミネリ監督作)と並んでしばしば最初のオール・ブラック・キャスト映画とされていて、それはたしかにメジャー映画会社では初なのかもしれないが、先にあげた1938年の‘The Duke Is Tops’などはすでにオール・ブラック・キャストなわけで調べればいくらでも先例が出てくると思う。そもそもレコードと同じように映画も黒人マーケットに向けた作品群が存在するのです。

ファッツ・ウォーラーは、この映画出演後同年の12月15日に亡くなってしまった。享年39の若さであった。

Hoagy Carmichael 1939


‘Hoagy Carmichael featuring Jack Teagarden and His Orchestra with Meredith Blake’(1939パラマウント、1巻もの)
曲目: “Two Sleepy People,” “That's Right, I'm Wrong,”
“Washboard Blues,” “Lazybones,” “Rockin' Chair,” “Stardust” (total=10:04)


左のCDジャケットにあるごとくシンガー=ソングライターの草分け的存在。ここで歌われた曲以外でも「ジョージア・オン・マイ・マインド」「スカイラーク」等々名曲・佳曲が多数ある。ロウ・スクールまで卒業したお坊ちゃん育ちながら法律家にならずに音楽の道を選んだわけだが、生涯を通して優雅な芸能活動を続けられたベースには彼の曲が生み出してくれた印税があるのだと思う。

この1巻もの映画でも「俺が俺が」とでしゃばるわけでなく悠然とした姿が見られるが、その背景にはもうひとつ見ておくべき事情がある。当時の音楽界での主役は生演奏・レコード・ラジオを通して人々を踊らせる「楽団」であって、「歌手」は楽団の付属物扱いされていたのだ。この事情が逆転するのが、1942年から1943年に渡って起こった「第1回吹き込みストライキ」前後のことである。

2007-08-12

Dizzy Gillespie 1946


‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Groovy Man” (2:47)



‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Salt Peanuts” (3:55)



ミュージシャンシップとエンターテイナー魂の結合というか、あるいは逆に大いなる乖離といったらいいのか、ディジー・ガレスピーもまたパーカーに劣らぬ変人であった。

ジョー・キャロルとの掛け合いヴォーカルなど、この手の試みはシリアスなジャズ・リスナーからの受けが悪かったせいか次第に少なくなっていってしまったのは残念だった。バップもできるエンターテイナーの道もあったのではないかと思われてならない。

ガレスピーのビッグ・バンドへのこだわりは晩年まで変わらなかった。彼の手がけたビッグ・バンド中、1946~1950年のいわゆる「第2期ガレスピー・ビッグ・バンド」は随一のバンドだった。ビッグ・バンド史上最もエキサイティングなバンドのひとつだと思う。メンバーもレイ・ブラウン、ケニー・クラーク、ミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス等々豪華キャスト。この映画の少しあとでチャノ・ポソが加入してアフロ・キューバン・ジャズを繰り広げることになるのだが、それはまた別のお話。

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2007,9/18 “Salt Peanuts” を追加しました。

2007-08-04

美空ひばり・フランキー堺 Hibari Misora with Franky Sakai 1954

click
「七変化狸御殿」 Shichi-henge Tanuki Goten (1954 松竹 大曾根辰夫)より
曲目不明(3:41)


美空ひばりがわからない。人は彼女を天才だという。たしかに歌はうまいのだろうと思う。そりゃ好きな曲だって少しはある。『リンゴ追分』『ロカビリー剣法』たしかに結構な曲である。

「天才は作品の質だけでなく、その量をもっても他を凌駕していなければならない」という論法をもってすれば、美空ひばりの「量」は文句なしだと思うけど、その「質」には大いに疑問ありだ。「たとえその歌詞が電話帳を読み上げたものだとしても人を感動させうる」と評されたビリー・ホリデイに比べるのは酷かもしれないが、ひばりさんは楽曲そのものが駄目なときに歌唱だけで人を感動させるだけのものを残念ながら持っていないと思う。

そういうわけでこの映画「七変化狸御殿」での彼女の歌はつまらないと思う。ドラマー・フランキーの能力の片鱗を見るべきクリップなのだろう。美空ひばり研究はもう少し続くと思います。期待しないで待っててね。

2007-08-02

エノケン・二村定一 Eno-Ken with Teiichi Futamura 1936


「續千万長者」 (1936 PCL 山本嘉次郎)より
『セントルイス・ブルース~タップ~二重唱』 (8:07)



顔の黒塗りは「ジャズ・シンガー」(1927米)に由来するのだろうか。ワーナー・ブラザースが送り出した世界初のトーキー映画である。主演のアル・ジョルソンについては後日是非とりあげたいものだが、映像があるかなあ。

お話かわって「日本のジャズ・シンガー」№1のエノケンである。最後の二重唱における台詞ともラップともつかない融通無碍な歌い方は軽く時代を超えていると思う。それからエノケンと直接関係ないけど『セントルイス・ブルース』が途中でオン・クラーべなラテン・リズムになるところも面白い。それにしても女性ダンサーや女装したエノケンまで顔の黒塗りをすることはなかったんじゃないかなあ。

映画「續千万長者」をPCL(東宝の前身)の作品録やエノケンのフィルモグラフィーの中で見かけないのだが、この映画について詳しく知っている方がいらしたら是非ご教示いただきたい。「續」があるからには「正」篇もあるんでしょうね。エノケンについても映像さえあればまたとりあげたいと思っています。

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この作品のデータについて、当ブログとリンクさせていただいている「笑うな危険!」の主宰者スージー・アラビア氏よりご教示いただきました。制作年を1938年から1936年に訂正し、監督・山本嘉次郎の名前を記すことができました。深謝いたします。また作品名は「続エノケンの千万長者」が正式名かもしれない旨ご教示いただきましたが、表記を含めて確認が取れ次第訂正いたすこととします。重ねて御礼申し上げます。