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2008-10-23

Chantal Goya 1966

「男性・女性」 Masculin, Féminin (1966 仏・スウェーデン, J.L. ゴダール)
より   『名前を教えて』 D'abord Dis-Moi Ton Nom (6:35)



2008-03-26

Jean-Pierre Léaud 1967

「ウイークエンド」 Week-end (1967 伊・仏 J.L.ゴダール)より
“Allo, tu m'entends” (1:15)



2008-03-06

Raymond Devos 1965



Uploaded by lilalili
「気狂いピエロ」 Pierrot Le Fou (1965 仏・伊 J.L.ゴダール)より
“Est-ce que vous M'aimez?” (3:22)




2008-02-18

Brigitte Bardot et Jeanne Moreau 1965  

「ビバ!マリア」 Viva Maria! (1965 仏・伊 ルイ・マル)より
“Paris, Paris, Paris” (5:09)

「ビバ!マリア」 Viva Maria! (1965 仏・伊 ルイ・マル)より
“Ah les p'tites femmes de Paris” (2:23)

「ビバ!マリア」 Viva Maria! (1965 仏・伊 ルイ・マル)より
“Maria Maria” (1:14)



2007-09-27

Anouk Aimée 1961

「ローラ」Lola (1961仏ジャック・ドゥミ)より
『ローラの歌』Chanson de Lola (1:30)



マックス・オフュルスに捧げられたジャック・ドゥミの長編第1作。ヒロインのローラはジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の「嘆きの天使」(1930)でマレーネ・ディートリッヒ演ずるLola Lolaから名前とキャラクターを拝借してきたもの。と言ってもディートリッヒのように男を破滅させることにはならないのだが。

ミッシェル・ルグランと初めてコンビを組んだ作品でもあるのだが、全面的にルグランの音楽を使用したわけではなくモーツァルトやベートーヴェンなども使用している。ドゥミによると「音楽のないミュージカル」のつもりで撮ったとのことだが、いわゆるミュージカルではない。

アヌーク・エーメの吹き替えをやったのは、Jacqueline Dannoという女優で歌も歌う人。ラテン・ジャズっぽいバックに対して自由律な歌唱。オリジナルなメロディや譜割から完全に逸脱した、悪しきシャンソンの典型みたいな歌い方だ。本来なら否定したいところだが、こうして映像付きだと妙に説得されてしまう。声そのものも官能的だし。もちろんアヌークの姿態もね。

2007-09-24

Corinne Marchand 1961

「5時から7時までのクレオ」Cléo de 5 à 7
(1961仏アニエス・ヴァルダ)より 『サン・トワ』 Sans toi (2:31)



アニエス・ヴァルダの映画には微妙に入り込めないものを感じている。と言っても他に観たことがあるのは「幸福」(1965)と「歌う女・歌わない女」(1977)に短編の「コートダジュールの方へ」(1958)ぐらいなので大きな口はたたけないのだが。加えて本作の主役コリンヌ・マルシャンのルックスも微妙ではないか。別に美しくなければいけないことはないのだが、若いのか老けてるのか年齢も判別できないし、積極的に嫌いになれるほどの強い個性も感じない。それでもここに取り上げたのは、ミッシェル・ルグランの音楽ゆえ。

「ローラ」(1961仏ジャック・ドゥミ)で旦那に気に入られて、カミさんの映画の音楽も担当することになったのだろう。ルグラン本人も登場するとは身内同然の扱いだ。ピアノを弾き歌唱指導をしているのが、ルグランその人。

『サン・トワ』は、「シェルブールの雨傘」(1964仏ジャック・ドゥミ)の愛のテーマや「おもいでの夏」(1971米ロバート・マリガン)のテーマ曲などと同系列の曲で、聴き手をドップリと感傷に浸らせるというタイプ。ルグランのジャジーで小洒落た曲の系列を良しとして、こちらの系列を軽んじ疎んじる向きもあるけど、なに怖がることはありません。両方聴き倒したらええやんか(何故か関西弁)。

2007-09-18

Françoise Dorléac & Catherine Deneuve 1967



Uploaded by box-office
「ロシュフォールの恋人たち」 Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『双児姉妹の歌』La Chanson des Jumelles (3:46)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『デルフィーヌとランシアン』 De Delphine à Lancien (3:47)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『ソランジュの歌』 Chanson de Solange (2:30)

「ロシュフォールの恋人たち」Les Demoiselles de Rochefort
(1967仏ジャック・ドゥミ)より
『夏の日の歌』 La Chanson d'un Jour D'été (3:16)



この映画はどこを取っても美味しい。今でも年に1度は無性に観たくなって、観始めると止まらなくなって結局最後まで観てしまうことが多い。好きなLPやCDを聴くように観られてしまうのだ。最初に観たときは、非現実的なロマンスであるとかドヌーヴの踊りが今ひとつなところとかが気になって手放しに大好きというほどではなかった。観直すたびにそんなことは取るに足らぬことだと思うに至ったのだと思う。そもそもこの映画はミュージカル映画だ。しかもハリウッド、とりわけMGMのミュージカルへのオマージュなのだ。

『双児姉妹の歌』(『双子の歌』):映画を観る前から大好きだった曲。本作で最も有名な曲でもある。ドヌーヴの歌はアン・ジェルマンの、ドルレアックの歌はクロード・パランの吹き替えで2人ともスイングル・シンガーズのメンバーという風にいろいろな資料に書いてある。確かにアン・ジェルマンはメンバーだが、クロード・パラン(Claude Parent)は、スイングル・シンガーズの公式HPでグループの歴史を見ても存在しなかった。だいたいクロードって男性の名前だよね。ミステリアスです。ご存知の方はご教示下さい。
『デルフィーヌとランシアン』:画商のランシアン(ジャック・リベロール)とデルフィーヌ(ドヌーヴ)の歌。リベロールの歌もジャン・ストーという人の吹き替え。高速のジャズ・ワルツでとても素人には歌える歌ではないわなあ。この歌が始まる前に薄ーく流れているのが『マクサンスの歌』のメロディで、「愛のテーマ」として映画のいろいろな部分に顔を出します。
『ソランジュの歌』:この映画の曲はジャジーな曲が多いのだが、最も器楽曲的なメロディーなのがこの曲。これまた女優さんには絶対歌えません。最後に「愛のテーマ」(前述した『マクサンスの歌』と同じメロディー)になって、姉妹のデュエットで終わります。ロマンティックな泣きのあるメロディだと思います。
『夏の日の歌』:映画の見せ場のひとつ。キレイな大画面の映像で観たいシーンです。3/4と4/4のパートがスムーズにつなぎ合わされた巧みな曲作りはミッシェル・ルグランの面目躍如です。

さすがルグラン=ドゥミ・コンビの最高傑作ということで他にも取り上げたい曲がいくつもあるのだが、また別の機会にします。


2007-08-17

Anna Karina 1961

「女は女である」Une Femme Est Une Femme (1961仏J.L.ゴダール)より『アンジェラの歌』 Chanson D'Angela (2:11)


この映画の音楽担当はミッシェル・ルグランで『アンジェラの歌』も彼が手がけた。ゴダールとルグランは思いのほかコラボ作が多くて、一般的にルグランといえば「シェルブールの雨傘」ほかのジャック・ドゥミー監督との結びつきのイメージが強いのだが、ゴダールとの諸作も非常に興味深いものがある。本作以外では「怠惰の罪(新・七つの大罪の1編)」(1961) 「女と男のいる舗道」(1962) 「立派な詐欺師」(1963) 「はなればなれに」(1964) 「モンパルナス=ルヴァロワ(パリところどころの1編)」(1965) 「未来展望(愛すべき女・女たちの1編)」(1966)が2人のコラボ作である。

『アンジェラの歌』はルグランらしい小洒落た曲で、サントラ盤として出たレコード・CDにはごく普通のアレンジで収められている。ところが本編では、お聴きの通り歌に入ると伴奏のピアノがピタッと止むという一種ダブのような処理がされている。後の「右側に気を付けろ」(1987)の萌芽ともいえる試みだ。ゴダールの音楽の付け方は唯一無二で、一作一作驚かされることが本当に多い。

2007-08-14

Breno Mello 1959


「黒いオルフェ」Orfeu Negro (1959仏=伊=伯マルセル・カミュ)より
『カーニバルの朝』 Manha De Carnaval (1:46)



この映画、記憶に残る最初の映画(の1本)なんです。当然親に連れられて見に行ったのだが、なぜこんなものを観せてくれたのか? 特に音楽ファンでもなく、ましてブラジル音楽などに興味がないうちの父親が。思うにテレビが家を侵略する前の日本の平均的家庭では、映画を観ることが手近な娯楽であり、その後の父親の映画の好みから推測するにはあまり考えもなく観る映画を選んだのだと思う。すなわち偶然と書いて「たまたま」です。でもその偶然に感謝。

ルイス・ボンファ作の『カーニバルの朝』、ちょっと俗っぽいけど名曲だと思います。ジョビンが手がけた他の曲のほうが今では好きだったりするのだけれど、忘れがたい曲です。このシーンのバックにオフ気味に流れるサンバ・ビートは、いわゆる「音のモンタージュ」とか、演劇でいうところの「異化効果」ってやつがねらいなのだと思うけど、そんな小賢しさを振り払い勇気を持ってベタに歌い上げても(ということはバックのビートをフェイドアウトしても)良かったのではないかと思いますがいかがでしょうか。

2007-08-10

Marianne Faithfull 1966



「メイド・インUSA」 Made in U.S.A. (1966仏J.L.ゴダール)より
『涙あふれて』As Tears Go By (2:03)



美声時代のマリアンヌ・フェイスフル。ミック・ジャガーの恋人でもあった時代かな。ジャガー=リチャード作でストーンズのヒット曲でもあった『涙あふれて』をアカペラで歌う彼女は、ゴダール映画には珍しくイノセントな女性のイメージとして画面に定着されている。

ゴダールの好む女優の顔の系列というのが話題にのぼることがあるが、これについて明晰に述べた文章を知らない。アンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジーン・セバーグ、ミリアム・ルーセルと主演女優を並べていくことで何となく了解できてしまうテイストを分析したりするのは野暮だと皆が敬遠するからなのだろう。

「メイド・インUSA」で主演ではなかったフェイスフルは以降ゴダール映画ではお呼びがなかったわけだ(すなわちゴダールの好みの顔ではなかったのだ)が、世間的には「あの胸にもういちど」の主演によって官能的なレザー・スーツの女として記憶されることになった。

またストーンズはゴダールとは縁があったようで「ワン・プラス・ワン」(1969)でゴダールと組むわけだが、政治の季節にどっぷり入ったゴダールの異様な「政治寸劇」、ブライアン・ジョーンズのバンドからほとんど脱落している雰囲気などが作品全体を覆って重苦しい作品となってしまった。肯定的に語られるのは、ラストのクレーン自体を被写体としてしまった「クレーン撮影」のみ。完成した『悪魔を憐れむ歌』がかぶさるこのシーンのかっこよさ、カタルシスは相当なものだが、何がそんなによいのかを説明することは相当に困難である。

2007-07-28

Jeanne Moreau 1962


「突然炎のごとく」 Jules Et Jim (1962 仏 フランソワ・トリュフォー)より
『つむじ風』 Le Tourbillon De La Vie (2:25)



ジャンヌ・モローの隣でギターを弾いているのがシラス・バシアック。『つむじ風』や「気狂いピエロ」でアンナ・カリーナが歌った2曲の作者である。

10代のころに観たジャンヌ・モローは怖いおねえさんだった。いや「黒衣の花嫁」(1968)を観たときはすでにおばさんだと思った。女優としての彼女には惹かれるところがなかったのだ。しかし歌声にはどこか忘れがたい味があってレコードやCDを4~5枚所有している。当時好きなフランスの女優はブリジット・バルドーで、彼女の性的魅力にはやられっぱなしでした。

いまでも若い頃のバルドーは大好きだが、動物愛護運動がらみで時折伝えられる近影には落胆させられてばかり。グズグズと顔やからだの線がくずれてきていて、年齢のとり方がよくないなあ。モローも婆さんになったけど、こちらは何というかいい年齢のとり方をしているのだろう。きりっとしてカッコいい。相変わらず怖そうだけどこっちも年とったせいか、きりっとした怖い婆さんにも魅力(エロス)を感じるようになりました。

2007-07-27

Anna Karina 1965


「気狂いピエロ」 Pierrot Le Fou (1965 仏・伊 J.L.ゴダール)より
『いつまでも愛するとは言わなかった』 Jamais Je Ne T'ai Dit Que Je T'aimerai (3:02)


『いつまでも愛するとは言わなかった』『私の運命線』を書いたのはシラス・バシアックという人。ジャンヌ・モローが「突然炎のごとく」で歌った『つむじ風』の作者でもある。

それにしてもアンナ・カリーナとの離婚後にこんな濃密な作品を撮ってしまうゴダールは何という男であろうか。「誰はばかることなく美しい女性とつきあうことができるのが映画監督である」という名言を吐いたゴダールは、独特の癖はあれど超一級の女優審美眼の持ち主であると思う。

Anna Karina e Jean-Paul Belmondo 1965


「気狂いピエロ」 Pierrot Le Fou (1965 仏・伊 J.L.ゴダール)より
『私の運命線』 Ma Ligne De Chance (3:11)



「映画の中の歌うシーンを集めたアンソロジー」が本ブログのコンセプト。すでに某所でリストアップしたものを主なる素材としてそこに拙文を新たに添付していきます。

お前の文章なんぞつまらんと言われることがあっても、映像と歌を楽しんでいただければ編者としては満足だ。

いつの日かiPhoneにでもこれらの映像をすべて取り込んで、皆に見せてまわることができたら楽しいだろうな。「これいいだろ。いいだろ」って。さてどれぐらい玉が揃いますかな。