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2008-10-18

Helen Humes with Dizzy Gillespie Orch. 1946


‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Hey Baba Leba” (2:42)



‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Crazy About A Man” (2:29)



2007-10-12

服部富子 Tomiko Hattori 1939

「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝・小国英雄)より
『満州娘』(1:24)



マキノ正博や黒沢明の脚本家として名高い小国英雄の数少ない監督作品の1本。未見なのだが、古川ロッパが「昭和日記」の中で失敗作だと自らケナしまくっている作品とのこと。ところが当時のトップ歌手がステージで次々と歌うシーンが今となっては超貴重。かつてヴィデオ化されたこともあるらしい。

服部富子は服部良一の妹でテイチク専属の歌手。同じ1939年にマキノ正博の大傑作オペレッタ映画「鴛鴦歌合戦」にも出演している。石松秋二(『九段の母』など)作詞・鈴木哲夫作曲で1938年に流行した『満州娘』。「赤線地帯」(1956大映・溝口健二)で三益愛子が発狂したとき歌っていたのがこの歌だった。国策迎合の匂いがプンプンする歌詞だが、曲自体はエキゾチックで魅力的だと思う。

服部富子のフィルモグラフィ
「弥次喜多道中記」(1938日活京都, マキノ正博)1938.12.01
「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝, 小国英雄)1939.10.10
「鴛鴦歌合戦」(1939日活京都, マキノ正博)1939.12.14
「弥次喜多 名君初上り」(1940日活京都, マキノ正博)1940.01.13
「支那の夜 前篇」(1940東宝=中華電影公司, 伏水修)1940.06.05
「支那の夜 後篇」(1940東宝=中華電影公司, 伏水修)1940.06.15
「孫悟空 前篇」(1940東宝, 山本嘉次郎)1940.11.06
「孫悟空 後篇」(1940東宝, 山本嘉次郎)1940.11.06
「七つの顔」(1946大映京都, 松田定次)1946.12.31
「桜御殿」(1948マキノ映画, マキノ真三)1948.07.01
「サザエさん 前後篇」(1948マキノ=松竹, 荒井良平)1948.09.28
「三十三の足跡」(1948大映京都, 松田定次)1948.12.28
「果しなき情熱」(1949新世紀プロ=新東宝=東宝, 市川崑)1949.09.27
「サザエさん のど自慢歌合戦」(1948東洋スタジオ=大映, 荒井良平)1950.07.29


小国英雄の監督作品(リンク先は原作・脚本を含むフィルモグラフィー)
「ロッパ歌の都へ行く」(1939東宝, 小国英雄)1939.10.10
「金語楼の親爺三重奏 」(1939東宝, 小国英雄)1939.12.13

2007-09-29

The Royal Teens 1958

‘Let's Rock’(1958米ハリー・フォスター)より
『ショート・ショーツ』Short Shorts (2:44)



TV朝日「タモリ倶楽部」のテーマ曲として知られるロイヤル・ティーンズの『ショート・ショーツ』。キングスメンの『ルイ・ルイ』のようにシンプルながら、アキの来ない名曲だと思うのだがいかがだろうか。

このバンド(プロジェクト?)にはロック/ポップ界の大物が二人関わっている。一人は『ショート・ショーツ』の作者の一人でもあるボブ・ゴーディオ。この人はのちにフランキー・ヴァリフォーシーズンズの中心メンバーとして活躍し、数多くのヒット曲の作者となった。もう一人はアル・クーパー。弱冠14歳のギタリストとしてキャリアをスタートさせた。ちなみに映画出演時のメンバーは、ボブ・ゴーディオがピアノだが、ギタリストはアル・クーパーではなくてBilly Dalton 、サックスがのちにニッカボッカーズを結成するBuddy Randell (aka Bill Crandall )というライン・アップ。女性歌手は誰だか分からない。

2007-08-12

Dizzy Gillespie 1946


‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Groovy Man” (2:47)



‘Jivin' in Be-Bop’ (1947 米 レナード・アンダーソン, 
スペンサー・ウイリアムス)より “Salt Peanuts” (3:55)



ミュージシャンシップとエンターテイナー魂の結合というか、あるいは逆に大いなる乖離といったらいいのか、ディジー・ガレスピーもまたパーカーに劣らぬ変人であった。

ジョー・キャロルとの掛け合いヴォーカルなど、この手の試みはシリアスなジャズ・リスナーからの受けが悪かったせいか次第に少なくなっていってしまったのは残念だった。バップもできるエンターテイナーの道もあったのではないかと思われてならない。

ガレスピーのビッグ・バンドへのこだわりは晩年まで変わらなかった。彼の手がけたビッグ・バンド中、1946~1950年のいわゆる「第2期ガレスピー・ビッグ・バンド」は随一のバンドだった。ビッグ・バンド史上最もエキサイティングなバンドのひとつだと思う。メンバーもレイ・ブラウン、ケニー・クラーク、ミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス等々豪華キャスト。この映画の少しあとでチャノ・ポソが加入してアフロ・キューバン・ジャズを繰り広げることになるのだが、それはまた別のお話。

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2007,9/18 “Salt Peanuts” を追加しました。

2007-08-01

Amos Milburn 1955

‘Rhythm and Blues Revue’ (1955 米 ジョゼフ・コーン&レオナード・リード)
より “Bad, Bad Whiskey” (3:29)



エイモス・ミルバーンといえば、1950年のヒット曲であるこの曲と「チキン・シャック・ブギー」(1948)が最も有名なレパートリー。とぼけたヴォーカルとブギー・ピアノが売り物だ。ブギ・ウギ・ピアニストの伝統に則り?、また自身の音域の関係からか、ほとんどすべての曲のキーがGなので、アルバムを通して聴くと少々あきるのがつらいところだ。

「バッド・バッド・ウイスキー」をはじめ“One Scotch, One Bourbon, One Beer,” “Let Me Go Home, Whiskey”などお酒をテーマにした曲が非常に多いのもこの人の特徴。最後のヒット曲が“Good, Good Whiskey”(1954)だというのも人を喰った話で、この無類の酒好きのせいかどうかはよく知らないが1980年に52の若さで亡くなっている。

「リズム・アンド・ブルース・レヴュー」には他にもルース・ブラウンやフェイ・アダムスなどが出演しているので後日紹介できればと思う。

2007-07-29

The Cats And The Fiddle 1938


‘The Duke Is Tops (aka The Bronze Venus)’(1938 米 ウイリアム・ノルテ)より   "Killin' Jive" (2:27)



この映画は残念ながら未見です。アメリカではDVDになっているようなのでいずれ購入しようと思っていたら、PD(著作権消滅)映画サイトからダウンロードできることに気づき、あわててDLすれどあと10日かかるという表示が何日も続いている。待ちきれないので、映画の感想は後日コメント欄にでも書き込むことにする。

何はともあれ奇跡のキャッツ&フィドルである。こんな傍流もいいところのアーティストの映像があろうなどとは数年前までは夢にも思わなかった。しかもレコード・デビュー前(彼らのデビューは39年)。吾妻光良氏もご執心だというこのバンド、大好きMe Tooであります。

音楽的にはJazzとリズム&ブルースのニッチというかインビトゥイーンなJive(ジャイヴ)にカテゴライズされるのだろう。スイング・ビートにバーバー・ショップ系コーラスというとミルス・ブラザースみたいだけど、C&Fのほうがハチャメチャ度は高くて芸のヴァリエーションも豊富だ。『キリング・ジャイヴ』の間奏部で見られる曲弾きやアコべ馬乗りなどのパフォーマンスはロカビリーやブルースではよく行われるルーティーン・ギミックだが、1930年代にはまだ珍しかったかもしれない。まあ起源はヒルビリーやディキシーランド・ジャズの時代にあるんだろうけど。

‘The Duke Is Tops’の主役リナ・ホーンについては後日まとめて取り上げるつもりです。ご期待下さい。